真野麗子
「赤ちゃんに、はちみつをあげないでくださいね」
年配と思われる保健婦さんは、電話を切る前におだやかな口調だがはっきりと言った。
今から30年近く前、初めての出産後のことだ。区の斡旋で保健婦さんが家に来てくれる制度があったので、私はそれを利用したのだ。
約束した日時に保健婦さんを待つと、思った通りやさしい感じの年配女性がやって来た。まだ生後1ヶ月にも満たない娘と私の様子を見て、母乳指導などをした後、少しおしゃべりをした。その時にもやはりはちみつのことを繰り返した。
腸内環境が未成熟な1歳未満の乳児にはちみつを与えるとお腹をこわすというのは、妊婦雑誌などにも書かれていたので知識はあった。そもそもまだミルクしか飲まない赤ちゃんにはちみつなんて、と思ったが重要なことなのかもしれない、とその時は感じた。
娘はその後すくすくと成長し、「くまのプーさん」とホットケーキが大好きな子になっていた。
ある日、いつものようにホットケーキを焼いた私は、メープルシロップを切らせていることに気づいた。バターを塗った焼き立てのホットケーキを前に、がっかりした表情を浮かべている娘に、
「あ、はちみつならあるわよ」
と言って棚の隅にあったはちみつの瓶を取り出した。
「えっ、はちみつ?! プーさんが大好きなんだよね」
私は保健婦さんの言葉がずっと耳に残っていたので、娘が3歳を過ぎているのにまだはちみつを与えていなかったのだ。どうやら家にはちつみがあることも知らなかったようだ。
その黄金色の液体を、スプーンですくってたらーりとホットケーキにかけた。娘は魔法でも見るように目を輝かせ、皿の端に一滴落ちたはちみつを、指につけて舐めた。
「おいしーい。プーさんが好きなはずだー」
それが娘のはちみつ初体験だ。娘は、森で大きな蜂の巣を見つけたプーさんがはちみつを思いきり食べるシーンが大好きで、ビデオで繰り返し何度も見ていた。
小学校4年生ぐらいになると自分でホットケーキを焼き始めた。はちみつ専用のスプーンを使って、たっぷりとかけて食べるのが好きだった。
今ではもう娘とは別に暮らしているので、はちみつとどう付き合っているのかよくは知らない。だがいっしょに旅行した時など、土産物屋でご当地のはちみつなど売られていると、必ず手に取っているので今でも好きにちがいない。プーさんのことも嫌いにはなっていないだろう、たぶん。
(完)
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