野口隆司
我が家の食卓には、いつからか蜂蜜の瓶が定位置を得ている。砂糖の隣、塩や醤油よりも前だ。理由は単純で、よく使うからだが、そこに至るまでには、少しばかりの遠回りと失敗があった。
去年の冬、ひどく喉を痛めた朝のことだ。声はかすれ、体も重い。出勤前に薬を探したが見当たらず、半ばやけになって紅茶を淹れた。ふと目に入ったのが、実家から届いた大きな蜂蜜の瓶だった。「どうせ甘いだけだろう」と思いながらも、スプーン一杯を落とした。ところが、湯気と一緒に立ち上った香りに、まず驚いた。飲むと、喉の奥が少し楽になる気がした。医学的な効能はさておき、「これは悪くない」と、その日はそれだけで救われた気分になった。
調子に乗った私は、翌日も同じように蜂蜜紅茶を作った。ところが、寝ぼけたままスプーンを傾けすぎ、紅茶は一気に甘味地獄に変貌した。家内に「それ、デザート?」と笑われ、結局作り直す羽目になった。蜂蜜は薬ではなく、やはり量が肝心だと学んだ瞬間だった。
それ以来、蜂蜜は体調の悪い時だけでなく、週末の朝にも登場する。パンケーキにかけるつもりが、うっかりフライパンの横に瓶を置き、倒してベタベタにしたこともある。慌てて拭き取りながら、「ミツバチ一生分の努力を無駄にしたな」と、なぜか反省した。
友人が遊びに来た日、何気なく出したパンケーキに蜂蜜をかけると、「この家、甘さが落ち着いてる」と言われた。褒め言葉なのか分からないが、私は少し誇らしかった。蜂蜜は主役ではない。だが、あると暮らしが少し丸くなる。今日も瓶は、何事もなかった顔で食卓に座っている。
(完)
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