立山 芳樹
私の子供の頃の思い出です。 正月が明けると両親は私を連れて、山に木の枝刈りや炭を焼くための伐採に行きました。 周りの山林も整然として綺麗で、山の手入れは村の春を待っ間の仕事だったのでしょうか。 山では両親が仲良く楽しそうに働いて、昼は焚き火を囲んで餅やめざしを焼いて食べました。 春になると小川が流れる扇形の平野と、もう一つ大きな川に向かって扇形に広がる平野一面が、すべて濃いピンク色の花が咲く蓮華畑になりました。 見渡す限りの壮大な蓮華畑は、子供達の運動場で花を摘んだり走り回ったりして、その光景は幸せを絵に描いたように活き活きと輝いていました。 わが家には2カ所の平野の付根に、南向きで広い栗畑と柿畑の段々畑がありました。 終戦後に父が段々畑を開墾し、日当たりが良いので栗と富有柿を植えたそうですが、収穫もせずに成らせっ放しなので、それぞれ違う養蜂家が蜜蜂の箱が置いてありました。 ですから子供達は蓮華畑でたくさんの蜜蜂さんと一緒に、自然に仲良く遊んでいました。 そして蜜蜂さんが仕事を終えると、養蜂家の人がわが家の庭に来て蜂蜜を搾りました。 ドラム缶のような容器の中に蜂蜜の巣を入れてハンドルをぐるぐる回すと、下の方から蜂蜜がトロリと流れてきました。 その搾りたてを味見させてくれるのですが、それは蓮華畑で一緒に遊んだ蜜蜂さん達の甘くておいしい贈り物でした。 養蜂家は毎年蜂蜜の一斗缶を置いて行きました。 もちろんわが家では一年中蜂蜜を使い、カレーや煮魚は日常的に、たまに作る手作りケーキやドーナツに入れていました。 また喉が痛いと言えば大さじ1杯の蜂蜜を舐め、お餅を焼けばザラザラと結晶になった蜂蜜を乗せて食べました。 そんな思い出がその後何年かすると、減反政策とかで田んぼは大豆が蒔かれたり、父は梅の木を植えたりしました。 思えば田舎の景色がビニールハウスが出来たり、トラクターや大型機械が入って農薬や化学肥料を大量に使う農業に変わり、以前の自然との共存や環境を壊していきました。 私は農家の次男坊で故郷から遠く離れて都会で年老いました。しかしあの頃のような蜜蜂と一緒に美しい自然と共存共栄した故郷を、未来に残してくれるような社会になれば良いなと願います。
(完)
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