佐々木翔悟
正直、蜂蜜が苦手だ。
朝ごはんはずっとトーストとブラックコーヒー。
蜂蜜なんて甘いものはいらない。これで充分だと思っていた。
だけど妻は違った。
朝ごはんは同じトーストだが、コーヒーが苦手な彼女は紅茶を好んだ。
さらにそこにいつも蜂蜜を垂らす。紅茶だけでなくトーストにまで。これでもかというほど。
彼女が満足気に蜂蜜を垂らし終わると、毎朝尋ねられる。
そして、私はいつも同じ返事をする。「蜂蜜、かけなくていい?」「かけなくていい。」
別にこのやり取りで彼女が悲しむわけではない。ただ、毎日繰り返される決まったやり取り。
それだけ。
そんないつもの朝を知らせる目覚まし。今日はどこか遠くで鳴っている気がした。
いつもは気にもしない唾を飲み込む動作。なのに喉が一瞬遅れて動く。
身体を起こし、トーストを焼く。一口水を飲んで気づく。どうやら風邪を引いたらしい。
そんな私を横目に妻は何も言わずに湯を沸かしはじめた。
いつも通りカップが二つ並び、そしてその横に小さな瓶が置かれる。
ほどなくして湯が沸いたのだろう。スプーンが瓶に入り、カップに琥珀色の液体が注がれる。
「蜂蜜、かけなくていい?」
いつもの質問を待っていたのに、その日は聞かれなかった。
そんな日もあるか。特に深く考えず、カップを受け取った。
立ちのぼる湯気が指先を少しだけ温める。
たったそれだけで朝の輪郭がゆっくり戻ってくる気がした。
トーストを食べながら、カップに口をつける。一口飲むと、少し喉の奥が静かになった。
変化と呼べるほどではない。ただじんわりと広がる甘さとともに身体も温められた気がした。
翌朝、目覚ましはいつも通り鳴った。
いつも通りトーストを焼き、彼女がカップに沸かした湯を注ぐ。
カップの隣には、今日も小さな瓶が置かれている。
見慣れたはずのそれを、今日は一度だけ確認してから、何も言わずに視線を戻した。
彼女も私の方を見ず、いつもの手つきでお湯を注ぎ、また尋ねた。
「蜂蜜、かけなくていい?」
私は少し悩んで、答える。「……かけなくていい。」
いつもと同じやりとり。朝の湯気が二人の間をゆっくり通り過ぎる。
だけど、今日の彼女は少し微笑んでいた。
それからも朝のやりとりは続いている。
(完)
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