鏡身砂今
「もう蜂蜜全部なくなったんかい!」
激甘党の私の悲劇に満ちた嘆き声が響き渡る。私は広島弁が同世代の女性より強く、おじいさんみたいな喋り方をする。広島弁のユニークさを子供の時気に入って、そのまま使っている。
「もうなくなったんかい、わし今日絶品チャイティー作らんといけんのになんでハチミツないんや、今日は黒糖じゃなくて蜂蜜チャイ作って飲もうと思ったのに」
ブツブツ言う私を家族は無視している。どうでもいいらしい。あと私以外の家族はミルクティーチャイが好きではない。
「生姜もないやんけ!もうチャイじゃなくてただのミルクティーやんけ!マサラも足りんやんけ!」
母が呆れたように、
「インドに住んだら?」
と言っている。住むのは言語や文化の壁で難しそうだが、是非遊びに行きたい。
大容量蜂蜜を買いにチャリンコを走らせる。
大量のハチミツを手に入れた私はほくほくとハチミツをチャイやトーストにどんどん使っていく。
同時にエコロジストでもある私の脳裏に、「ミツバチが一生に集められるハチミツの量は、ティースプーン一杯分」というどこかで見た情報がよぎり、少し手を緩める。欲深くハチミツをかけまくるこの手にどこかでブレーキをかけないといけないと思った。お坊さんの本に、「足るを知ること」と書いてあったのを思い出した。一方で今はストレスが溜まっているので忘れさせて欲しい。
タバコも酒もやらないから、糖分は欲しい。蜂蜜は精製された砂糖より体にいいからいいんだという言い訳が私の持論である。
私は小太りだが、砂糖ではなく蜂蜜のおかげでこの程度なのだと主張している。家族は本当にどうでもいいらしく、返事すらしない。
数日後、兄弟が大容量の蜂蜜ボトルを見て、
「もうこんなに使ったの?昨日もっとあったよね?!」
と呆れている。大容量だからこそ臆せず使えると言うものだ。
私は糖分でストレス発散するタイプだが、蜂蜜だと体にいいことをしている気分になり罪悪感が少ない。蜂蜜が手に入るならなるべく普通の砂糖より蜂蜜がいい。
ハチミツは唇に塗ってもいいのだ。私はズボラで、リップクリームを塗り忘れてカッサカサにしてしまうことが多いが、蜂蜜でパックするとすぐ唇がふっくらする。もちろん蜂蜜だから口に入っても無害だ。
お金がないのに節約してお金を貯めて高い蜂蜜を買っていた時期もあり、家族からは非難されていた。他にすることがあるだろう、と。まさしくその通りだがなぜかその時はいい蜂蜜が食べたかった。
この執着心はどこからくるのかわからないが、蜂蜜の持つ魔力だろう。黒糖やてんさい糖などいろんな甘味が好きだけど、蜂蜜は子供の頃から身近だったし、特別だ。子供の頃からの友達だ。
子供の頃、母にホットミルクにハチミツを入れてもらったことがあり、大切な愛情の思い出だ。その次の日は母はカフェオレを作ってくれたが大量の塩を間違えて入れて私に出した。私は喉を抑え苦しんだ。目はバッテンマークのようになり、舌を出した。世界が回った。
そのせいかわからないが私はすごい甘党になり、誰に頼まれてもないのに子供の時から減塩生活を続けている。私の作る味噌汁は兄弟に言わせると味がないらしい。
蜂蜜は今後も私の味方であり続けるだろう。ほとんど上記の過去の個人的な体験が強く影響していると思われるが、蜂蜜は私の味方なのだ。
蜂蜜は母の愛だった。塩もわざと入れたわけではない。真っ白な塩と砂糖ではなく、あの時母が色のついた蜂蜜を選んでいたら、塩と砂糖を間違えて私が喉を抑えて泣くことはなかっただろう。
幼少期は誰もが混乱の日々を過ごす。蜂蜜は私にとって安全な記憶だ。あったかさと愛とおいしさ。蜂蜜が食べたくなってきた。
(完)
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