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ミツバチと共に90年――

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蜂蜜エッセイ応募作品

梅が落ちる頃

山田錦

 

 来る日も来る日もカップラーメンだと、やがてどんなものを選んでも、店の麺と違う何かを口にしているのだという食感を共通して思うようになる。一円とレシートとでしっちゃかめっちゃかな財布の中、銀と金に輝く真新しい五百円を握り、こうして即席麺の棚の前、ない食欲とこの後確実に減るだろう腹と相談し、食べたいものをひねり出す時間も、本当は全くの無駄、大人が虚しく仮初めの自由にしがみつこうという底意地だと分かっても、優柔不断に時間の余す限り、ここから動こうとできなかった。
 夜だ。いつも通り量で選んで一番大きいものを買おうとして、すぐやめる。繰り返すその葛藤を食事量とまるで無関係にだらしなく崩れていく肉体のシルエットのことや弁当となると残額からして手が出せないのを分かって、手にとっては戻してを繰り返した。
 この寂れた田舎ではコンビニさえも寂れている。地域に一つと言わぬまでも、家の近く最後のコンビニから、歩道ともいえぬ暗い道を一人、独りの哀しさを抱えて歩くには、少し高い標高の所為もあってか、五月の風は涼しすぎる。買った米や味噌よりも、まずそこを尽きたのが根気で、次にどこか行ってしまったのが生活力であった。
 いつものカップ麺をレジに出し、レジの真横に並んだおにぎりを一つつけようとして、一度会計を断って、その時蜂蜜の梅干を見つけた。六月に付けられたものでもなければただ私やカップ麺と同じ、何かできたような顔をしているだけの模造品にすぎぬのだろうが、しかし自堕落にさえ耐えかねた私はカップ麺を突っぱねてついにそれを買って帰り、米まで炊いた。
 柔らかめに炊き上がった米をしばらく出してなかったセピアの瀬戸物にこんもりと盛り、その頂点に梅干を添え付けた。久しぶりに部屋には家庭の匂いが満ちた。乾燥棚に刺さりきりの箸を片手にいただきますをして、箸の上、まぶしいLEDの白を柔らかに纏った米と梅を一口、途端、私はその柔らかな甘みについてあった憶えを何だったかと学生時代を思い返す。
 全ては過去になった。沢山の事を思い出せなくなった。初恋の人の顔の薄桃も、その薄桃を作ったいつかの初雪も、随分薄れて朧げで、私は彼女の顔を思い出すことさえなくなった。それでもまだ思い出の内に帰ることのできる所がある事と思うと、弁当の中に、痛まぬようにと願い込められたその甘みは、私を思うかのように優しく腹に落ちた。大人になってしまった悔しさとそれでも大人になれたたくさんの思い出とが愛おしくて、乾いた目が潤むのを誤魔化すように飯をかきこんだ。明日の朝も米を炊こう、ちゃんと生きたい。一人で食べ切るには多い蜂蜜の梅干しが、生活を取り戻してくれた。

 

(完)

 

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