ミツバチと共に90年――

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はちぶんのブログ ※鈴木養蜂場で言う『蜂蜜』とはいわゆる『本物の蜂蜜』です。

中国アカシア蜂蜜視察紀行(6)《飲食店『人人居』》 2014/06/27(金)

《飲食店『人人居』》

長野から名古屋まで約4時間、名古屋から西安まで約7時間、飛行場から西安市まで約1時間と、ほぼ移動だけで終わってしまった初日だが、蜂蜜店の視察を終えてようやくまともな食事にありつけそうだ。

ケンちゃん社長やはちぶんに限らず、旅先の食事は大きな楽しみの一つであろう。

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総一郎さんとリュウさんに案内されて入ったのは『人人居』という店で、店内に入ると記録を残そうと魚が泳ぐ大きな水槽を写真に収めた。
するとフラッシュが光った瞬間、店員が僕のところにやってきて訳の分からない中国語をペラペラ話し出した。

(なんだ?ここは撮影禁止か?)

はちぶんは
「なに言ってんだか解からんアルよ~」
とジェスチャーで対応したが、店員は訳の分からない中国語を続け、しまいには
「店長と話をつけよう!」
と言わんばかりの激しさだ。
そこへ頼りになるノッポさんが仲介に入ってくれ、我々のことを説明してくれ、ようやく店員の剣幕はおさまった。

どうやらはちぶんは公安警察の調査員と間違えられたようで、店を取り調べていると勘違いされたらしい。

それはそうといよいよ食事である。
どれも非常にうまそうな写真が並ぶメニューを見せられた。

ところが書いてある文字は全て中国語で(当たり前だが)、こんなに美味しそうなのだからどれを選んでも間違いないだろうと、現地の人たちに注文を委ねた。

その間総一郎さんは西安の日常的な食事の話をしてくれた。
例えば、西安の人は羊のスープを日常的に食べるということ。
そこにはナンを細かくちぎったものを入れ、それを朝から食べる習慣があるといった話である。

そしてそれに近いメニューも含めてリュウさん達は次々と注文すると、やがて一品ずつ中国料理定番の丸テーブルに運ばれた。

まずは社長が所望したビールで乾杯。
そして料理がひと品が運ばれるたび、テーブルが回されてまず最初に社長の前で止まる。
社長が箸をつけると次にはちぶんのところに回される。
どうやら中国でも序列というものを重んじているらしい。

それにつけてもどの料理も香辛料が大量に入っており、素材の味を大切にする日本人の味覚には強烈すぎた。
素材よりも山椒と唐辛子と黒酢が味のほぼ99%(おおげさだが)を支配しており、お世辞にも美味しいとはいえない。

(山椒と唐辛子と黒酢のパレードや~!)

中でも『沸騰肥牛』なる真っ赤な料理を口にしたとき、思わずはちぶんは口から火を吐いた!

(なんじゃ、こりゃゃあゃー!超々ウルトラスーパースペシャル激辛ではないかっ!!)

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もともとはちぶんは激辛が大好きなはずである。
うどんにスプーン山盛りの七味唐辛子を入れても、CoCo壱に行って最上級の激辛カレーを食べても美味しく感じるほどなのだが、この沸騰肥牛には参った!

その名の如く沸騰するような超激辛で、口の中が痙攣したようにビリビリ、ヒリヒリとした感覚が10分くらい続くのだ。

「み、水を……」

と、飲んだところでしびれはおさまらない。
ひいひい言いながら手のひらで唇をあおいでいたが、そこに登場したのが『大白酒』と書かれたアルコール度50%の強烈なお酒で、リュウさんは
「これを飲むだろう?」
と、ボトルで2本も買い込んだ。

「さあ、遠慮せずに飲め飲め」
と、次から次へと大白酒を注いでくる。
これもタバコと同様、中国では注がれたら飲み干すのが礼儀で、断れば失礼に当たるというから勧められるまま飲むより仕方がない。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(5)《連立する古びた蜂蜜専門店》 2014/06/27(金)

《連立する古びた蜂蜜専門店》

リュウさんに連れられて一歩街へ足を踏み出せば、
「ここは東京か?」
と思わせるほどの人の多さに驚く。

ホテルを出たすぐのところに雑貨を売るテント型の屋台があった。
そこではちぶんはライターを購入しようとすると、リュウさんが
「お金はいいから、いいから(中国語)」
と言って買ってくれ、おまけに小雨が降っていたから全員分の折り畳み式の傘まで買ってくれた。
お客さんにお金を使わせまいとする心遣いはどうやら万国共通のようだ。

激しい車のエンジン音にクラクションがあちこちで響き、そこらじゅうで行われている工事現場の音、音、音。
西安の街の第一印象は、

すこぶる元気な街―――

である。

更に驚いたのは4車線もあるような広い道路の交差点に、

「信号機がない!」

道路を横断する人々は、車が来ようがバスが来ようが思い思いに道路を横断している。

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大きな病院やデパートもあり、車の中から見た西安をより身近に感じながら歩いていると、なんとこの異国の街にも
『セブンイレブン』があるではないか!

オレンジと緑のイメージカラー、
あれは日本でおなじみのセブンイレブンだ!

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「日本の企業もがんばっているなあ……」

と感心しながら近くに来ると、なにやらストライプの間隔など微妙に違うことに気付く。
そしてお店の名前が違うのが決定的で、それはセブンイレブンまがいの店だった。

コピー文化とも揶揄される中国である。
標章や著作権などにめちゃめちゃ無頓着な中国人の性質はどこからきたものか?

いずれにせよ騙されないように注意しなければ!

『東大街』―――。

ノッポさんによればここは西安一の繁華街だそうだ。
そう、そしてここ西安の街は、日本の京都のように碁盤目の道路でできている。

というより京都の街が長安の街づくりに習ってできたのだ。

長い歴史の中でいろいろあったにせよ、漢字文化も仏教文化も儒教的思想やその他の風習も、始まりはみな中国から学んだことであることを考えれば、いわば中国は日本にとって大恩の国なのだ。
現在両国の政治的問題も山積するが、それはそれとして日本人はその大恩だけはけっして忘れてはならない

と思う。
でなければ日本は忘恩の国になるだろう。

そうこうしながら『天源蜂業』という蜂蜜専門店に到着した。

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店の看板はやや立派だが、中は装飾もない木の棚に蜂蜜や花粉や養蜂具が整然と並べられているだけの小さな店である。

よく見ればプロポリスやローヤルゼリーも置いてあるようだが、漢字で書かれていて読めない。

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ケンちゃん社長はさっそく店舗に入って商品のいくつかを手にしていたが、特に興味を持ったのは日本にはない形状をした養蜂具の数々で、ノッポさんを捕まえて店主からいろいろ話を引き出していた。

その様子を写真に収める―――
それがはちぶんが今回同行した最大の目的である。

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日本では見かけない巣枠が2枚入る縦1メートルほどの細長い手動式の遠心分離機を見つけた。

中国では一般的に使われているもので、社長が
「これ、日本に持ち帰れないかな?」
と冗談を言うと、真に受けて考え込んでしまうノッポさんは根っからのお人よしだった。

さしたる発見もなく、続いて通りをレンガ壁で隔てた歩道沿いに、さびれた蜂蜜店が5、6軒立ち並ぶ場所に訪れた。
いずれも店先には壊れそうな机が置かれ、上に数種類の蜂蜜が並べられていた。

聞けばどれも完熟蜜でなく、それらは濃縮蜜や加糖蜂蜜などで、中国の蜂蜜消費事情はまだまだ発展途上にあることが歴然としていた。

総一郎さんの話によれば、
「中国にも昔から蜂蜜はあるが、その用途は主に漢方薬としてでした」
とのこと。
やはり蜂蜜の本場は西洋で、日本や中国などの東洋ではあまり一般的でなかったそうだ。
このように店頭で蜂蜜が売られるようになったのはごく最近のことなのだろう。

日本の蜂蜜屋と大きく違う点は花粉の扱いが多いことで、漢方の本場中国における特徴のひとつなのだろうが、思えば漢方薬の店はすこぶる多い。

それより気になるのは歩道と道路の境に立っている人の背よりも高い赤レンガの壁で、レンガとレンガとはただ土で固められているだけなのだ。

これで地震でもあったら人はレンガの下敷きになるに違いない。

そんな心配もいらないほど、西安には地震がないのだそうだ。
来る途中に見た建設途中の高層マンションも簡素な造りに見えたのも、もしかしたらそのせいかも知れない。

それにしたって万一地震が発生したならば、この街は大惨事になることは目に見える。
教えてあげたいが一介の旅行客の立場では相手にもされない。
地震がないことを祈るばかりだ。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(4)《陜西省西安市》 2014/06/18(水)

《陜西省西安市》

むかし……
といっても学生の頃、夢にまで見た唐の都長安―――

その憧れの天地に、いま僕は、確かにその大地を踏みしめている。

はちぶんは興奮したままビデオを回す。

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その日の西安は小雨が降っていた。
とにかく滞在中の一番の心配は、何はさておき天候の心配である。
せっかく日本くんだりからやって来て、明日、現地での養蜂視察において雨が降ってしまったでは何をしに来たか分からない。
天気ばかりは大麻(おはらいをする時の白いアレ)を振って、祈祷してでも晴らさなければなるまい。

空港を出たところで現地案内の中国人の方が待っていてくれた。

その顔……

どこかで見たことがある。

そうだ!

日本のジャーナリストでキャスターや評論家としても活躍している田原総一郎に似ているではないか!
なので彼のことを『総一郎さん』と呼ぶことにした。

総一郎さんと一緒に我々を待っていてくれたのは、現地天然蜂蜜工場の責任者であるリュウさんとその仲間たちで、唯一女性のワンさんはアラサー女性のやり手のようで、左斜め45度から見た顔つきは卓球の福原愛ちゃん似だった。
社長のタイプではなかったようだが、『寅さん』ではないが旅に恋の予感はつきものだ。

一行はリュウさんが運転する車に乗って、一路その日宿泊する西安市内のホテルへと向かう。

社長と総一郎さんは前回の視察でも一緒だったようで、車中では中国に進出している日本企業の話などしていたが、はちぶんはあまり興味がないので車窓を過ぎ去る異国の風景を心躍らせながら眺めていた。

1時間ほど車を走らせて西安市街に近づくに従って驚くのは、高層マンションの多さである。
しかもそのほとんどがまだ作りかけで、働く人も見当たらないから廃墟にも見えた。

それにも増して気になるのは空気の透明度で、小雨という天気のせいもあるのだろうが、わずか数百メートル先の建物すら霞んで見える。
これは現在日本でも盛んに取沙汰されているPM2・5による大気汚染の影響だそうで、黄砂も混じっているのだろうが、西安などはその最たる都市に数えられているのだ。

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「こんな場所で採れる蜂蜜など本当に大丈夫なのか?」

はちぶんでなくても心配になるのは当然だ。
社長も口には出さないが同じことを考えているだろう……。

やがてガイドブックで見るような昔風の中国の大きな建造物が目に飛び込むようになってきた。

行きかう人々やすべて漢字で書かれた看板や立ち並ぶ店舗、そして城壁や鐘楼―――、思わず感嘆の声をあげずにいられない。

やがて総一郎さんは城壁の方を指さし、
「今晩泊まるホテルはあの中の西安で一番の中心地にあります」
と教えてくれた。

西安の繁華街は城壁で囲まれている。
ヨーロッパにもそういう都市があるが、この景観が街に美しさを添えているのだ。

(マジか~!)

まさに昇天しそうなはちぶんは、思わず悠久の歴史を感じさせる風景に生唾を飲み込んだ。



それにしても人の多いこと多いこと!
おまけに車の運転の荒いこと荒いこと!

車と車の間隔が50センチもないというのに強引に割り込んできたり、中にはキレイな女性ドライバーがこちらを睨んでクラクションを鳴らす者もある。
信号などあってないようなもので、赤信号なのに人は道路を横断するし、古びたバイクも荷台を引く自転車もごっちゃになって、比較的広い道路を皆が「我れ先に!」と先頭を争っている。

それでも運転手のリュウさんは手慣れたもので、その混雑の中をスイスイ走る。
気の小さいはちぶんなどとてもとてもこんなところで運転などできない。

街中を走っていると「○○酒店」とか「○○飯店」という文字をよく目にするが、これは中国では「ホテル」を意味するそうだ。
こうして今晩宿泊予定のビジネスホテル『艾斯汀(アイシーティン)酒店』の地下駐車場に到着した。

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狭いロビーでチェックインをしている間に、ニコニコしながらリュウさんが僕に一本のタバコを勧めてきた。
名古屋でライターを奪われ、それまで一本も吸っていなかったはちぶんは
「気がきくなあ♪」
とありがたく頂戴したが、後で聞いた話では、それは中国人のタバコ吸いの社交辞令だそうで、断ると失礼に当たるのだそうだ。

お返しにはちぶんも日本のメビウスを一本さしあげると、リュウさんはとても喜んでいる様子だった。

「荷物を置いたら西安の蜂蜜専門店の視察に行きます。
4時30分にロビーに来てください」

総一郎さんが社長に言った。

はちぶんの黒いケータイの時間を見れば17時23分。
日本と中国との時差はちょうど1時間で、太陽は東から昇るので中国は日本より日没が遅い。
なんだか1時間得した気分ではあるが、部屋に入って集合時間まで10分もないとは、

(いくらなんでも無謀じゃろ~!もうちょっと休ませろ~!)

とは言えず、急いで荷物を置いてロビーに降りた。

それまでに何度かケータイの時間を現地時間に合わせようと試みたが、どうにも設定のし方が分からずに、結局中国にいる間はケータイが示す時間から1時間引くというやり方で現地時間を認識することにした。
なんとも不便だが、早めの行動を促すには都合がよい。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(3)《中国東方航空MU292便》 2014/06/18(水)

《中国東方航空MU292便》

西安直行8時50分発の中国東方航空MU292便―――

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いよいよ登場手続きだ。

チケットを受け取り荷物を預け、別に悪いことをしているわけではないのに、セキュリティーチェックをくぐるところではいつも緊張してしまう。

案の定、社長がくぐったところで「ピーッ」と鳴った。

まるでケンちゃん社長は犯人扱いでもされるようにボディーチェックを受けていたが、どうやらベルトの金具がひっかかったらしい。
タバコ吸いのはちぶんはライターを取られただけですんだが、ここから西安に着くまでタバコは吸えない。

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飛行機に乗り込むときは、いつも
「どうか墜落しないでください」
と真剣に心の中で祈る。
この鉄の塊が空を飛ぶことなどいまだに信じられないのだ。

そして座席に座ったらすぐさまシートベルトを装着し、次に必ずタイプのスッチーさんを見つけることにしている。
万が一飛行機が落ちた時、今生の思い出に好きなタイプの女性に抱きついて死のうと考えているからだ。
もう死んでしまうのだから、人間として生きた証しにそれくらいの煩悩を残しても罰は当らないだろう。

ところが、あいにくタイプの中国人スッチーさんを見つけることができなかったはちぶんは、ますます不安をつのらせることになるが、あとで聞いた話では、ケンちゃん社長はひとりのスッチーさんをひどく気に入ったようで、どうもはちぶんとは好みのタイプが違うらしい。
例えば、似たような美人系の女優さんでいえば、ケンちゃん社長は北川景子が好きで、はちぶんは深田恭子が好きなのだ!

(身の程知らずのお前たちはいったいどんな話をしとるのじゃ!)

やがて飛行機は轟音とともに、かつての唐の都長安に向かって飛び立った。

しばらくするとスッチーさんがやって来て
「機内食は何を食べるか?」
と聞いてきた。

もちろん言葉は中国語だから、とても理解できるはずもないが、前方から順に機内食を配り始めたので、おそらくそう言っているのだろうと思っただけだ。

はちぶんは日本語は得意だが中国語は
「ニーハオ」

「シェーシェー」
以外まったくしゃべれない。
おまけに学生時代の英語の成績もけっしてほめられたものでなく、ましてヒアリングなど大の苦手なのだ。

優しいスッチーさんは、僕が中国語も英語も理解できないことを知ると、日本語で
「ブタ?ウシ?サカナ?」
と言ってくれたのでようやく「魚」と答えることができた。

この優しいスッチーさんとなら死ねるかな?

と彼女の顔を見たが、やはりはちぶんのタイプではなかった。

機内食はあまりおいしいものではなく、このあと食事に関しては、悪夢のような料理が続くことを、この時はまだ社長もはちぶんも知らない。

3時間ほど経って飛行機が着陸したのはなぜか上海空港だった。

てっきり西安直通だと思っていたのはノッポさんも同じで、4人は係員の誘導に従って空港内を移動しはじめた。
どうやら上海で入国手続きをするらしい。

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パスポートを見せて無事中国に入国を果たすと、名古屋から乗った十数名ほどの日本人は、肩にシールを貼られてあちこちと連れまわされた。

どこをどう歩いたかなどまるでわからなかったが、やがて再び飛行機に乗り込むと、今度こそ西安へと飛び立った。

ちなみにこの時もまたセキュリティーチェックで社長は犯人扱いされていた。どうやら本日はケンちゃん社長のラッキーデイのようだ。

気休めに持ってきたケータイの時計を見れば正午過ぎ。
西安に到着したのは日本時間で14時55分のこと。
夜通し運転した疲れが出たのか、機内では墜落の心配も忘れてぐっすり寝ることができた。

人の流れに乗って手荷物引渡場へ向かおうと歩き出したはちぶんを、意味の分からない言葉で呼び止める声がした。
振り向けば「こちらへ来い」と手招きする中国女性の係員がいる。

そこに集められたのは上海空港で肩にシールを貼られたメンバーで、名古屋から西安に行くつもりが上海で降ろされた十数名に違いない。
どうやら我々だけ別扱いらしい。

ところが一人足りないことに気付いた係員は、我々をバスに残して探しに出て行ってしまった。
さもあろう、あんな誘導の仕方で迷子にならない方がおかしい。

そこでいなくなった一人というのは、まだ20代前半と思えるはちぶんタイプのカワイイ女性だった。
薄エメラルド色の洋服にリュックには小さな白クマのアクセサリーを付けた、いかにも日本人らしい清潔感のある娘で、上海の空港内を一緒に歩き回っていたから間違えるはずもない。
たった独りで西安に来るとはよほど旅慣れているか度胸があるかのどちらかで、
一体どういう了見か?
と、ずっと気になっていたのだ。
「何をしに西安に?」と、よほど話しかけようかと思ったが、社長の目もあるし、ノッポさんやキャリーさんもいたのでやめておいたのだ。

キャリーさんによれば、「何か急いでいる様子で先に出て行ってしまった」とのことだったが、30分くらい待って、ようやくその娘は係員に連れられ「すみません!」と言いながらバスに乗り込んできた。

西安にもこんなにカワイイ日本人女性が来るのかと、ひそかに異国での出会いに期待を募らせるはちぶんである。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(2)《中部国際空港セントレア》 2014/06/06(金)

【初日】

《中部国際空港セントレア》

5月23日金曜日、午前0時―――。

前回ケンちゃん社長が山東省へ行ったときは、中央タクシー(地元のタクシー会社)を使って中部国際空港セントレアまで直行したので今回もそうする予定だったのが、あいにくその日は予約がいっぱいで、仕方なくはちぶんの“す~カーパー”に乗って行くことになった。

運転は僕。
連日採蜜作業で朝が早くて、ろくに寝ていないケンちゃん社長に運転させるのは極めて危険なのだ。
それでも助手席でずっと眠い目をこすって、話し相手をしてくれる優しい社長であった。

2日前に届いた最終スケジュールでは、初日と二日目の宿泊場所が西安市から宝鶏市に変更されていた。

宝鶏市は西安市から西へおよそ150キロほど離れた陜西省第二の都市であるが、なぜスケジュールがころころ変更されるかというと、現地の養蜂というのは花が咲く場所へたえず移動しながら採蜜するいわゆる“移動養蜂”が一般的で、アカシアの花の咲き具合によって、養蜂家の居場所が刻一刻と変化するからである。

一瞬、
「なんだ、西安に泊まらないのかあ……」
と気落ちしそうになったが、事前に向こうの情報を調べているうちに“ものすごいこと”が判明した。

それは『シルクロード』や『西遊記』や『遣唐使』などよりも、はちぶんにとっては“超ウルトラスーパーすごい事!”であった。
それは、西安市から宝鶏市へ向かう途中に、

『五丈原』がある!!

ということだった。

知らない人のために説明しよう。

『五丈原』とは『三国志』に出てくる天才軍師『諸葛亮孔明』終焉の地なのである!!!

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『三顧の礼』によって劉備玄徳に仕えて『天下三分の計』を唱え、『赤壁の戦い』では驚く知恵で一夜にして10万本の矢を得て当時最強の武将であった魏の武将曹操を破り、天の利、地の利、人の利を巧みに読み、臨む戦は百戦錬磨、劉備亡き後もその遺志を継ぎ、泰平の世を実現しようと身を粉にして戦った男―――。

要するに、諸葛孔明ははちぶんが歴史上で最も尊敬する人物の一人で、僕にとっては孔明“様”なのだ!

「よ、よもや、あの五丈原に行けるかもしれない!」

その大きな期待は興奮を呼び覚まし、気持ちが高鳴り、昨晩などろくに眠れなかった。

車の中でその興奮を社長に伝えてみたが、ケンちゃん社長は「ふ~ん」と言って眠そうだった。
しかしはちぶんは固い決意をしていた。

「わざわざ日本から、あの広い国土を持つ中国の内陸部まで行くのだ。
そして一生行くことはないだろうと夢物語に思っていた五丈原の近くを通るからには、是が非でも足を延ばして行かねばならぬ!
ノッポさんに会ったらまずこの思いを伝えねば!」

しかしあくまで現地視察という仕事で行くのに、私情など理解されようはずもない。
そこではちぶんは考えた。

「これは鈴木養蜂場のブログにどうしても必要なネタなのだ!」

思いが通るかは分からないが、とにかくこの方向で口説いてみよう!

と、それとなく社長に話してみたら別段反対する様子もない。
社長さえ味方につければこっちのものだ!

ノッポさんとは6時40分に、中国東方航空のチェックインのところでの待ち合わせだった。
社長もはちぶんも中国語は話せないので、ノッポさんがいなければ視察どころの話でない。

中部国際空港セントレアの駐車場に到着したのは待ち合わせ時間の約2時間ほど前で、人けの少ないロビーで少し気が早かったかと社長と顔を見合わせた。

やがて姿を現したノッポさんに、さっそく五丈原の話を持ちかけた。
ところがノッポさんは五丈原どころか諸葛孔明の名すら知らない様子で、ポカンとした顔をしている。

(おいっ!君は中国人のくせに、あの超有名な諸葛亮孔明様を知らんのか~っ!)

口には出さないが
「こりゃ行くのは難しいかもしれん……」
と、落胆の溜息を落とさずにはいられない。

ノッポさんはしきりに中国語のガイドマップを広げてくれたが、やがて出た言葉が、
「実は宝鶏には泊まらないことになりました。今日と明日は西安に泊まります」
と涼しい声で答える。

(は、話が違うではないか……!)

はちぶんの夢はこの時点で無残にも砕かれた。

それでも心優しきノッポさんは、スマホで諸葛孔明や五丈原を調べてくれて、ガイドマップでその位置を確認すると、
「ここなら行けるかも知れませんね」
と、わずかに望みをつないでくれた。

(いいよいいよ、無理に話を合わせてくれなくて……。
行けなかったらいっそうみじめになるじゃない……)

はちぶんはひとり喫煙所にこもり、溜息を落として日本での最後のタバコをふかした。

しばらくして、別の仕事で同行するアラフォー女性がやってきた。
仕事で世界を飛び回るいわゆるキャリアウーマンなので、彼女のことを『キャリーさん』と呼ぶことにした。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(1)《出発前夜》 2014/06/06(金)

今日から、先日行った中国の視察旅行の様子を、「紀行」と題して小出しにご紹介していきますネ!(笑)

『中国甘粛省 アカシア蜂蜜現地視察紀行』

※この「中国アカシア蜂蜜視察紀行」は、事実に基づく筆者はちぶんの主観的物語です。

《出発前夜》

実はケンちゃん社長から、中国養蜂の現地視察同行を求められたのは昨年のことだった。

「同行してその行動の様子を記録してほしい。
うちで扱っている中国産の蜂蜜は完熟でしかも良質であるが、どうにも世の中の中国産蜂蜜に対するイメージは最悪で、なんとか払しょくさせたいのだ」

と、熱い情熱にほだされた僕ことはちぶんだったが、その時いまひとつ乗り気になれなかったのは、前回社長が渡中したのは山東省で、歴史や文化好きな僕にとってあまり魅力を感じられない場所だったことによる。
「どうせ行くなら世界的な文化遺産の残るところに行きたい」
という、半ば観光旅行を期待しているよこしまな根性からだった。

ところが
「今年の山東省の蜂蜜の出来はいまいちで、今回は内陸の甘粛省へ行くことになった」
と当初のスケジュール表を見せられたとき、宿泊場所になっている『西安』の文字が目に飛び込んできたのだった。

「西安に泊まるんですか!」

思わず声をあげた僕の頭に、『シルクロード』のロマンと『西遊記』の物語が同時によみがえったのである。

西安―――

そう!
そこはかつて中国が『唐』と呼ばれた時代、唐の都『長安』があった場所ではないか!
シルクロードの始点であり、かつ、遥か西の天竺(インド)を目指して孫悟空という妖怪を伴った玄奘三蔵が旅立ったのも長安だった。
日本では聖徳太子の時代、遣唐使を送って大陸文明を学んだのも、そこ唐の都長安ではなかったか!

「行きましょう!中国へ!」

現金なはちぶんの態度は、そのとき180度ひるがえったのだ!

天安門事件が起こる前だからもう25年以上前、一度北京と天津に行ったことがあるから実は二度目の中国訪問となるが、西安へはもう行くこともないだろうとあきらめていたから、思ってもない幸運の到来である。

5月15日、視察協力会社の中国人がスケジュール調整のため鈴木養蜂場に訪れた。

はちぶんは現地視察に同行することになる通訳兼務の彼と初めて会って、社長と一緒に話を聞いたが、その中国人の話しぶりと温和な態度から、彼の誠実な人柄が伝わってきた。
なにより驚いたのはそのひょろりとした背の高さで、聞けば、
「190センチあります」
と、流ちょうな日本語で答える彼を『ノッポさん』と呼ぶことにした。

長野出発が23日の夜中の0時。

「海外でケータイが使えるか携帯電話会社へ行って確認した方がいい」

少し前にそう言われていたが、
「社長のケータイが使えるのだから僕のだって使えるだろう。最悪ケータイなんかなくてもいいや」
と最初は安易に考えていたが、出発が近づくにつれ
「迷子になったらどうしよう」
とか
「日本から緊急の連絡があったらどうしよう」
とか、だんだん不安に駆られて、出発する日の日中、やっぱり確認しておくことにした。案外小心者なのだ。

するとauの店員さんは、
「この機種は海外では使用できません」
と無情に答えた。

スマホやiフォンが主流になっている現在、はちぶんが愛用している黒い折り畳み式の携帯電話は、auから無料で与えられたもはや骨董ともいえる代物なのだ。

レンタルもあると教えられたが「今晩出発だ」と言ったら、親切にいろいろ対応してくれはしたが、結局間に合わないことが分かった。

「もっと早く行動しとけよ!」

自分を叱責したが後の祭りで、
「気休めに持っていこう。時計代わりにはなるだろう―――」
とあきらめて、それから少し仮眠をとって、いよいよ出発の時間を迎えた。

 

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