ミツバチと共に90年――

信州須坂 鈴木養蜂場

はちみつ家

Suzuki Bee Keeping

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はちぶんのブログ ※鈴木養蜂場で言う『蜂蜜』とはいわゆる『本物の蜂蜜』です。

中国アカシア蜂蜜視察紀行(26)《後日談》 2014/08/21(木)

《後日談》

中国はとにかく広い!

それが今回の視察でつくづく感じたことだ。

読者も気になっているだろうが、孔明のアヒルの羽の扇は、ワシントン条約にひっかからずに今はちぶんの部屋にある。

ノッポさんは結局雑貨店で見た同じ扇の値段を教えてはくれなかったが、先日ケンちゃん社長のところにノッポさんからこんなメールが届いた。

『はちぶんさんの羽毛扇子の値段ですが、正直15元/本だと言われました。
あまりにも安すぎますので、はちぶんさんの体に悪いと思いますから、社長が少し上乗せしてから本人に伝えた方が良いかもしれませんね。
社長にお任せします」

(じゅ、15元……)

めまいがしてきたのでちょっと横になろう……。

(完)

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※この「中国アカシア蜂蜜視察紀行」は、事実に基づく筆者はちぶんの主観的物語です。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(25)《上海観光(豫園)》 2014/08/21(木)

《上海観光(豫園)》

昨日キャリーさんが言っていた。
「かなり美味しい小龍包が食べれる店がある」
と!

これまで“食”には苦しめられ続けてきたケンちゃん社長とはちぶんは、世界を旅するキャリアウーマンが絶賛するその味を知りたくて仕方がない。

そんな思いを知ってか知らずか、次にノッポさんが連れて来てくれたのは、『豫園(よえん)』と呼ばれる『外灘』と並ぶ上海の2大観光スポットのうちのもう1つの方である。

かつては東南地方一とも称された明代の庭園で、「豫園」とは「楽しい園」という意味らしい。なるほど伝統ある中華的な建物が立ち並んでおり、土産屋や飲食店が軒を連ねている。

ちょうどお昼どきで『南翔饅頭店』という店で『小龍包』を食べることになった。

ところがかなりの人気の店で、入り口には行列ができていた。

「今がチャンス!」

とばかりに、はちぶんは我慢していたタバコを吸いに、灰皿めがけて飛んでいった。
西安で飛行機に乗る際、リュウさんに買ってもらったライターは没収されてしまっていたから、もうライターを買うのはやめにして、ホテルに置いてあったマッチを持ってくることを忘れていなかった。

ところが半分も吸わないうちに、
「はちぶん、中に入るよ!」
とケンちゃん社長が僕を呼んだ。
かなり回転の早い店らしい。

注文したのは一口サイズで6つ入りの小龍包と、なにやら中心にストローが刺さっている見たことがないそれも小龍包。
「火傷するから気をつけろ」
と言われて、ショウガとタレをつけて恐る恐る口にしたところが、
(これがうまい!うまい!)
ケンちゃん社長も
「こんなうまい小龍包は食ったことがない!」
と、2つめを注文した。

気になるストロー付の小龍包は、中のスープを飲むだけで、外側の皮は固くて食べるものではないらしい。
値段は忘れてしまったが、スープだけでこんなに高いのか?と思わせる価格であった。

(写真を撮るのを忘れてしまった!)

飛行機の時間を気にしながらお土産を見て回る。

ケンちゃん社長は烏龍茶を大量に買いこんだ。
店の店員はそんな大口の注文などやったことがないと大わらわ。
ようやく人数分を茶筒?に詰めると、急いで安物ばかり扱う雑貨店に入った。

そこでケンちゃん社長は、午前中視察した「蜂之語」で飾ってあったのと同じ、左手が電動で動く金の招き猫を買った。
これで鈴木養蜂場も今より商売繁盛だ!

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ところが―――!

その雑貨商店街で、はちぶんはとんでもない物を発見してしまった!

あ、あの五丈原で買ったのと同じ、黒いアヒルの羽の孔明様の扇を見つけてしまったのだ!

し、しかも床に直置きの段ボールの中に無造作に入れられているではないか!

はちぶんは恐る恐る手に取って確かめた。

袋も同じ、大きさも同じ……、

(め、めまいが……)

ノッポさんに値段を聞いてもらった。
すると彼は、一瞬合わせた目をすぐにそらした。

「い、いくらでしたか……?
でも、
も、もし僕が聞いてショックを受けるようなら言わないでください」

ノッポさんはすかさず、値段を言わずに、
「でも五丈原で買ったやつは下の方まで羽がありましたから!」
ととぼけた。

(ショ、ショックを受ける値段なのか……)

落ち込みを隠せないはちぶんは、
「なあに、あの五丈原で買ったというところに深い意味があるんですよ!」
と強がったが、ケンちゃん社長はまるで笑い壺にでも入ったように笑い続けた。

(コノヤロッ!)

とは、社長に対してけっして言えないはちぶんである。

もう飛行機の時間に間に合わない!

急いで車が置いてある場所に向かおうとしたケンちゃん社長を呼び止める、押し売り女性の声がした。

日本語で、
「ちょっと見ていって!いいモノあるから!」
といかにも調子のいい口調だ。

ケンちゃん社長はよく声をかけられる。
よほど金持ちに見えるのか?

押し売り女性が手にしていた商品の時計を見ればロレックスで、
「それ本物?」
と社長が言えば、

「ニセモノだよ!いいモノあるからこっち来て見ていって!」

と、しゃーしゃーと答える。
どうやら中国のニセモノ文化もすっかり社会権を得ているようだ。

社長はこう言って逃げてきた。

「うちに『本物』いっぱいあるから!」

物語のしめくくりに、『本物』の中に『天然完熟蜂蜜』の意味をひそませたことを分かっていただけたろうか?

こうして、ぎりぎり搭乗手続きの時間に間に合った鈴木養蜂場中国アカシア蜂蜜視察団が乗り込んだ飛行機は、日本に向かって飛び立った。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(24)《家族に頼まれた中国土産》 2014/08/21(木)

《家族に頼まれた中国土産-1》

日本を出る前、書道をたしなむ母から、
「中国へ行くならぜひ書道で使う墨を買ってきておくれ。ちょうど切らせてしまったの」

(そんなもん日本で買え!)

と言うのも忘れ、選別をありがたくもらってしまった。
おまけに息子には、

「中国語で書かれたワンピースのマンガを買ってきて!」

と、こっちは視察で行くのに観光旅行に行くものとすっかり勘違いされている。
(と言いながら五丈原ではずいぶん楽しんでしまったが……)

それをノッポさんに話したら、さすがは心優しきノッポさん!
はちぶんの要望をすっかり叶えてくれた。

どこかは分からないが書道の道具や紙ばかりを扱っている店が立ち並ぶ商店街。
そこに上海どころか中国一と豪語する書道具の名店「曹素功墨苑」という場所に連れていってくれた。
なにもこんな高級店に連れてきてくれることはなかったのに、、、
でも、その心遣いが嬉しい。

ところが―――、

「たかっ!」

物によっては日本円で数十万するのもある。
品はピンからキリまで、

「なぜこんなに値段が違うのか?」

と聞けば、

「墨の価格は材料の良し悪しもあるが、作られてから年を増すほど価値が上がるのだ」

と、店主らしき人が手ごろなカモを捕まえたとばかりに言う。
いわゆる墨とワインは同じらしい。
(ちゃう、ちゃう!)

しかもその墨を作ったのが「曹素功」という墨作りの名人だそうで、はちぶんは母のために彼の名前の入った300元(日本円で約5400円)の墨を買った。

「負けてくれ!」
と交渉したが、よほど商品に自信があるのだろう、その願いはかなわなかった。

「100年すればもっと価値が上がりますよ!」

と、今日運転をしてくれているおちゃめなおじさんが言ったが、
(死んどるわい!)
と言わずもウケる―――笑いは万国共通だ。

続いて大きな書店に連れて行ってくれた。
日本でいえば「紀伊国屋」級の店である。

ところが店員に聞きながらコミックが置いてあるコーナーにたどりつけば、そのスペースたるやほんの僅か。
広さにして6畳くらいか?
まだまだ日本の漫画文化もここまでは届いてないようだ。

「こんな狭いスペースに果たして目的のコミックは見つかるだろうか?」

と心配になりながら探していたら、そこはさすが!日本中を席巻する人気マンガ「ワンピース」。
全巻そろわずとも本棚2段に渡って並べられていた。

価格は日本で売られている半分程度だ。
でも紙質はイマイチで、本の作りもあまい!

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ちなみに中国語で「ルフィー」は「路飞」、「サンジ」は「山恵」、「ウソップ」は「撒谎布」、「ナミ」は「奈美」(←そのまんま)と書く。

これで家族に頼まれた使命は果たしたぞ!

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(23)《上海観光(外灘)》 2014/08/21(木)

《上海観光(外灘)》

ノッポさんが、
「上海でぜひ見せたい場所がある」
と連れて来られたのが『外灘(ワイタン)』だった。

英語では『バンド』と呼ばれるかつての外国租界の玄関口で、中央を流れる黄浦江をはさんで、西側は外国の金融機関の古い建物が立ち並び、東側は近代的な高層ビルが連立する今と昔とが同居する不思議な街だ。

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はちぶんたちは黄浦江の西側に立ち、対岸にそびえたつ高いビルを眺めた。最も高いビルは現在建設中で、次に高くて上に四角い穴が空いたビルは日本が建てた国際貿易ビルだそうだ。
そして3番目に高いのが金茂ビルで、いずれも貿易関係の建物だと言う。

その地に立ってはちぶんはふと思った。

「日本の幕末期、ひょっとしてあの人物もここに来たのではなかろうか?」

“あの人物”とは、日本の歴史上において、はちぶんが最も尊敬するあの人物だ!(尊敬する人物がたくさんいるはちぶんなのだ。)

その人物の名とは―――

『高杉晋作』!

動乱の幕末に四民一体となって幕府勢力に対抗し、たった独りで維新回天を成し遂げ、長州を率いて小倉戦争で幕府を打ち砕いた革命の申し子である。
諸葛孔明に劉備玄徳がいたように、高杉晋作には吉田松陰という師がいた。
彼は松陰の構想を実現するため、命を賭して戦ったのだ!

そういえば二人とも病死―――。
何か似ているところがある。

その高杉晋作は、生涯に一度だけ外国の地を踏んだ。
そこが「上海」なのだ!

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たかぶる気持ちを抑えてノッポさんに聞いてみた。

しかしそんな「歴史おたく」的な知識など知るはずもなく、日本での宿題として持ち帰ることにした。

そして調べてみたら、

やっぱりそうだった!

江戸末期より、長崎と上海を往来する船は、上海の外灘に寄港していた事実を知ったのだ!

高杉晋作は1862(文久2)年、「千歳丸」という船に乗り、下関から長崎を経由して上海に渡っている。そのとき見た景色を、彼はこう日記に残す。

『欧羅波(ヨーロッパ)諸邦の商船、軍艦数千碇泊す。檣花林森として津口を埋めんと欲す。陸上は則ち諸邦の商館紛壁千尺殆ど城閣の如し。その広大厳烈なること筆紙を以て尽くすべからざるなり』

その驚嘆が、後に彼を革命へと導いたとする見方もある。

はちぶんの高杉晋作好きは、その足跡をたどって萩や下関にまで足を運ばせるほどだった。
しかし、さすがに上海までは来れなかった。

しかしその夢がまた一つ実現してしまったのだ!
ああ、なんて幸せなはちぶんだろう!

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(22)《蜂蜜専門店「蜂之語」》 2014/08/21(木)

【四日日】

《蜂蜜専門店「蜂之語」》

朝ホテルを出るとき、ホテル内の掲示板で面白い内容の掲示物を見かけた。

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『食品安全小貼士 食品安全検査結果 良好』
『加強科技監管 落實主体責任 保障食品安全』

意味は分からないが、「食品安全」とあるからには
「うちのホテルで出す料理は安全ダヨ」
と言っているに違いないが、念のため総一郎さんに聞いてみたら教えてくれた内容が難しすぎて、はちぶんにはよく理解できなかったから、
「ホテル独自でやっているものなのか?」
と聞いたら、
「上海市食品葯品監督管理局という機関が行っているものだ」
と教えてくれた。

いずれにせよいま日本で問題になっている中国食品も、こうして自国内から改善が始められている事実を知って少し安心した。
日本と同等レベルになるまでにはもう少し時間がかかりそうだが、意識のある中国人はこうして努力しているという事実を知っていただきたい。

さて、

キャリーさんと総一郎さんは別の仕事があるというので、ここからはケンちゃん社長とはちぶんの案内役はノッポさん一人だけ。

ケンちゃん社長はキャリーさんがいなくなったのをいいことに、
「キャリーさん、毎日違う洋服と靴をはいていたね」
と、どこにそんな荷物を隠していたのかと噂しながら、驚愕の色を隠せない様子だった。

それはそうと
(迷子にならないようにしなければ……)

最初に向かったのは上海で唯一の蜂蜜専門店「蜂之語」という店の視察であった。

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この店は正真正銘の天然蜂蜜を扱っている。

以前は上海にも20店舗ほどの蜂蜜店があったそうだが、土地代や人件費の負担が大きくてついに一軒だけになってしまったという。
なるほど上海の物価はどこへ行っても日本並なのだ(少し安いと感じる程度)。

創業10年の若い店だが、西安の蜂蜜店とは大違い。
おしゃれな演出で商品を飾り、商談用の机も六角形というこだわりようだ。

26歳、店主の陳さんは、香港に近い広州市のトンゲというところで生まれ育ち、その地は昔から養蜂が盛んであったことから現在の仕事を選んだと言う。

最初はローヤルゼリーの扱いからはじめ、次にプロポリス、そして天然蜂蜜を扱うようになって、多くの自社ブランド品を開発してきた。

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ケンちゃん社長と和やかに談話をし、取り扱っている商品を見せてもらった。
ローヤルゼリーとプロポリスが一体となったカプセルや、中でもケンちゃん社長が興味を示したのはプロポリスの歯磨き粉だった。
はちぶんも以前、試作品をもらったことがあるが、まだ商品化には至っていないものである。

それをまとめ買いして、あとは天山山脈あたりで採蜜された蜂蜜を買って、店主と握手をして写真を撮った。

その時、外でものすごいバクチクの音が鳴り響いた。

「何事か!」

と思って飛び出せば、2車線の道路に爆竹の音とものすごい煙がもうもうとあがっていた。
先ほどから大勢の人が集まって、大きな音楽とMCで、何かイベントが行われていた場所である。

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格好からして労働組合運動か?
とも思ったが、それにしてもずいぶんド派手であか抜けたパフォーマンスなのだ。

聞けば美容院のオープニングセレモニーが行われている真っ最中だとのこと。
その賑やかなパフォーマンスに度肝を抜かれた。

まあ、とにかく元気な街である。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(21)《再見!西安》 2014/08/21(木)

《再見(ツァイチェン)!西安》

西安咸陽国際空港16時30分発上海行き―――。

「ツァイチェン、ツァイチェン!」

リュウさんとワンさんとドライバーが私たちに手を振って見送ってくれた。

『再見(ツァイチェン)』―――
『再び見会(みま)おう』『またね!』と、
なんといい言葉であるか。

日本語の「さようなら」とか「さらば」とか、「もうこれっきり」というのでなく「再び」である。

はちぶんは名古屋の空港の免税店で買った1カートンのメビウスを、1箱ずつ彼らに配り、得意の「謝々(シェーシェー)」を何度も繰り返して握手を交わした。

そういえば女性のワンさんはタバコを吸わなかった!

慌てて日本から持ってきた使いかけの『ミンティア(すうっとするやつ)』を取り出し、中にまだ粒が入っているのを確認して彼女に渡した。

彼女の僕の手を握り返した指が柔らかかった。

こうして一行は西安を後にして上海へと飛んだ。
孔明様の扇はまだ同じ中国国内なので没収される心配はない。

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上海空港から今晩宿泊予定の「汾陽花園酒店」というホテルに向かう。

立ち並ぶ高層ビルのイルミネーションは色鮮やかで、その美しさは東京以上。
というのも日本は飛行機の操縦士が間違えないように、ビルなどの建物に使用する明かりにも制限があるのだという。

ノッポさんの話によれば、これから向かうホテルは昔のフランス租界の中にあり、すぐ目の前には上海音楽学院が隣接する閑静な場所にあるという。
到着してみれば、なるほどどことなく軽井沢の趣きがある高級そうなホテルである。

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夕食を食べに外へ出た。

いいかげん山椒と黒酢と唐辛子には飽きたケンちゃん社長とはちぶんは、ノッポさんと比較的上海には詳しいキャリーさんに連れられて、大衆食堂のような店に入ってできる限り日本食に近い料理を選んで食べた。

キュウリとお粥と白いご飯と、漬物だけでご飯が食べれてしまう長野県人は、他に何もいらないのだ。
特にケンちゃん社長は
「とにかく冷たいものが飲みたい!」
と、出される温かい烏龍茶に、氷を別に頼んで冷やして飲んだ。

むかし聞いた話では、中国の生水というのは石灰分が多く、生で飲むことはないのだそうだ。
必ず一度沸騰させてから飲むため、だからお茶の文化が発達した。
そのせいであろうか野菜でも何でも火を通す。
脂っこい料理が多い由縁なのだ。

食事を終えて少し上海の街を歩いてみようということになった。

路地には鶏肉を焼く屋台や珍しそうな食べ物がたくさんあり、どうせならこういうところで珍しい食べ物を食べればよかったと後悔したがすでに満腹だ。

おっと!

日本では見慣れた“M”のマーク!
あれは『マクドナルド』ではないか!

ところが下に綴ってあるのは「麦当劳」という見慣れない文字で、
「もしや、西安で見かけた偽セブンイレブン同様のまがいものか?」
と疑っていると、隣を歩くノッポさんが、

「マイ-ダン-ロウ」

と言った。
つまり「麦当劳」の発音が「麦(mak)当(dong)劳(lou)」で「McDonald’s」に近い発音になるのだ。
つまりそれは本物のマックだった!

「上海にいるのだから『新天地』に行ってみましょうか?あそこは大人の街よ」
とキャリーさんが言う。
「大人の街」という言葉に社長もはちぶんも胸がときめいた。

ところがそこからだと『新天地』という場所までは遠く、30分くらい歩いてようやく到着したが、すっかり疲れ切ってカフェでビールを一杯飲んで、帰りはタクシーを拾ってホテルに戻った。

西安も賑やかだったが、上海はワンランク上の上品さがある賑やかな場所だった。
夜中の12時を回っているというのに、西洋の学生たちや若者で東京ディズニーランドのような人ごみだ。
しかも今日は日曜なのだ。

ホテルに帰ってブログを書いた。
明日は帰国だ。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(20)《中国青年の反日感情》 2014/08/05(火)

《中国青年の反日感情》

昼食は五丈原周辺の名物である『臊子面』なるものを食べた。
「もしかしたら孔明様も食べたかもしれない?」
と思いながら口にすると、その味はすっぱくてちょっと辛く、やはりここの麺も日本のラーメンやそばやうどんとまったく違う。

総一郎さんは「原料は小麦粉だ」と言うが、どちらかというと米粉で作った麺に似ており、お世辞にもあまり美味しいものでない。

今晩は西安から飛行機で移動して上海だ。

五丈原から西安咸陽国際空港へ向かう車中、
「中国の反日感情というのは現在どれくらいあるのですか?」
僕はずっと気になっていたことをノッポさんに尋ねた。

尖閣諸島の問題や環境問題や食料品問題等、いわゆる中国問題は日本において報道を賑わす昨今である。
かつては両国間では日中戦争が行われ、日本は侵略による満州国を樹立して、南京虐殺などの非道なこともやってきた歴史がある。
当時の事実を記憶に刻む者は、日本に対して反感を抱くのは当然で、その点においては日本は深く反省しなければならないだろう。
しかし国交が正常化してはや42年、実際の中国人の日本に対する感情はどうなのか?

ノッポさんはしばらく考えている様子だったが、やがて、

「反日感情というのはあまり感じたことはありません」

と答えた。

ノッポさんは学生時代日本に留学し、以来ずっと日本に在住するいわば中国人の中でも突出した親日家であろう。
彼のご両親は日本に対してあまり良い印象は抱いていなかったようだが、帰京するたび誤解を解いてきたと語る。

尖閣諸島問題についていえば、
「小学校の教科書にも尖閣諸島は中国の領土であると出ていたし、そう学んだ」
と言う。

「確かに反日のテレビ番組を見て、反日教育を受けた人もいますが、現在の実態としては、日本の企業がたくさん中国へ進出していますし、日本の技術、日本のソフトパワー、民間レベルにおいての様々な方面で交流が盛んになっています。
そして中国ではいま、日本食が好き、日本製の電気製品が好き、日本アニメが好きな若者がたくさんいます」

ノッポさんは車を運転中の地元ドライバーにも聞いてくれた。
するとドライバーの彼はこんな話をしてくれた。

彼の家も養蜂業をしているが、つい最近まで“藤原さん”という名の日本人が一緒に働いていたという。
藤原さんは終戦のとき日本に帰れなかったいわゆる残留日本人で、ドライバーの彼がまだ子供の頃に出会った。
非常に真面目で人柄も良かった藤原さんを通して、日本に対する反感など微塵も持たなかったと言う。

ノッポさんは、
「イギリスが香港を中国に返還した頃の話です」
と、ある報道番組で、農村に暮らす一人の女性のインタビューの答えが印象に残っていると言った。

『香港が戻らなくても私は農民です。
香港が戻ってきても、私は相変わらず農民です』

要するに「対外政策」だ「愛国」だと叫ぶ前に、中国政府は私たちの生活をなんとかしてくれ!という貧しい庶民の健気な訴えである。

「年寄りの人たちは分かりませんが、若い世代の私たちが生活している中で、反日感情なんてほとんどないのではないでしょうか?」

と、それはドライバーの彼もノッポさんも同じ意見であった。

なるほどそれは日本でも同じような気がする。
ただマスコミの報道に偏りがちな日本人は、悪いところだけを聞いてそれを中国だと認識しているケースがあまりに多い。
ところが実際は両国の政治的関係がその認識を作り出している原因のほとんどで、両国の庶民はただ振り回されているだけのように思えるのだ。

テレビや新聞などのマスコミによる影響力は、ともすれば時代の考えの潮流になりがちだが、実は庶民の生活というのは、そんなものとはかけ離れたところにある。
マスコミとか報道は、本来弱い立場の者の味方をすべきではないかとはちぶんも思う。

文化や考え方が違っても同じ人間であることに違いない。

中国語がまったく分からないはちぶんも、食事やタバコの交換を通してリュウさんやワンさんとも友達になれた。
互いに歩み寄れば政治やマスコミの壁など乗り越えられることができると思いたい。

その意味からも、いま我々がしている民間交流こそ、明日の両国の希望なのだ。

西安市を抜け空港を目指す車窓から、中国漢時代の皇帝や王子の陵墓がいくつも見えた。

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「あれは武帝の孫の墓です。
あれは西漢時代最後の皇帝の墓です。
陵墓は山になっていますが王子のものはてっぺんが丸く、皇帝のものは平らになっているんですよ」

ドライバーが説明してくれる話を聞きながら、

国境がなくなるのはいつの日か―――?

遠い異国ではちぶんは思った。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(19)《孔明様のお土産》 2014/08/05(火)

《孔明様のお土産》

すぐ近くに孔明様に関連した「三国城」という資料館のようなところがあったので、はちぶんとケンちゃん社長とノッポさん、それにリュウさんとワンさんの5人で入った。

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中には昔の衣装を着せた等身大の人形が立ち並び、三国志で有名な場面を表現していたが、進むにつれて、人の首が切られる場面が出てきて
「まあ、昔のことだからこんなこともあっただろう」
と特に不思議にも感じなかったが、そのうち閻魔大王が出てきて

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「はて?こんな場面はあっただろうか?」
と思っているうちに、棺の中からミイラが顔を出したり、突然すごい音を立てて人形が飛び出してきたり、いつの間にかお化け屋敷に変わっているではないか!

女性のワンさんは「キャッキャ、キャッキャ!」と大騒ぎ。
最後、外へ出ようと仕掛けられた板を踏めば、脇からミイラ男が飛び出した。

僕は孔明様の資料館に入ったのだぞ!
仮にも天下の孔明様を宣揚する施設を、お化け屋敷にしてしまうとは何事か!

でも後で社長と大笑いした非常に楽しいひとときであった。
偉大な人物の業績を歯牙にもかけない中国人の感性に、もろ手を挙げて感服である。

いよいよ本命の『五丈原諸葛亮廟』と書かれた建物の中に入る。

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入場料は一人35元。

ワンさんが払おうとしているのを見て申し訳ないので、はちぶんが払おうとしたら、そこはさすがにキャリーさんが気をきかせて「私が払う」と言ったが、ワンさんは自分は入らないのに「いらない、いらない」と5人分の入場料を払ってくれた。
ワンさんの思いを無駄にはできない。

入ってすぐお土産屋さんがあった。
そこで目に飛び込んできたのが、あの孔明様が使ったのと同じ形の“鳥の羽で作られた扇(おうぎ)”であった!

「これを土産にすれば最高だ!」

はちぶんには同じく孔明様をこよなく愛する2人の友人がいる。
「彼らに買っていってあげれば喜ぶこと請け合いだ!」
と、直ちにまだ20歳くらいの女性店員に話しかけた。

中国語は分からないのでノッポさんに通訳に入ってもらい、
「大きいのと小さいのがあるが、孔明様が使っていたのはどっちだ?」
すると店員の女の子はすかさず大きい方を指さした。
「黒い羽と白い羽のがあるが、孔明様が使っていたのはどっちだ?」
すると店員さんは迷わず黒い方を指さした。

(う~ん、若いのになかなかよく勉強しているお嬢さんだ)

と感心していると、ノッポさんが女の子の話を通訳してくれた。

「孔明はアヒルの羽を用いていたそうです」

(そうなのか!最近の研究でそんな事まで分かっているのか!)

と、ここではちぶんは気付くべきだったのだ。
アヒルといえば白ではないか!「醜いアヒルの子」であるまいし、どこに黒色をしたアヒルがいるだろうか!
ところが時間も押していて、そんなことに気付いている余裕はなかった。

「挿柄のところに文様があるが、孔明様が使っていたものに近いのはどっちか?」
するとまたまた女の子は迷わず「陰陽魚」の文様がある方を指さした。

「ではこれを買おう。3つくれ」

すると一つ50元だという。日本円で約900円だ。
ノッポさんに「もっと値切ってほしい」と言ったら、

「1つ50元だが3つ買ってくれたら120元でいい」

女性店員の反応も早かった。
日本円に換算して2160円―――、
時間もないのでその値ではちぶんは手を打った。

ところがそこに出てきたのが総一郎さんで、
「検品をした方がいい」
と言って、ひとつひとつ不良がないか確認してくれ、少しでも傷があると良品と取り替えてくれた。
そんなことよりはちぶんは、憧れの孔明様の扇を手にしてもう嬉しくて嬉しくて昇天しそうだった!

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ところがケンちゃん社長はその間じゅう、対応してくれたまだ20歳くらいの女性店員さんを見初めてしまったようで、帰りの道すがら、
「できることならあの娘をオレの秘書として日本へ持ち帰りたい!」
と萌え萌えだった。

残念ながらはちぶんは、買うことに夢中で、その女の子の顔を見ている余裕など少しもなかった。
加えてケンちゃん社長がイヤなことを言った。

「これって動物の羽だよね?日本に持ち込めるのかな?」

考えてもなかったが、動物等の持ち込みはワシントン条約で規制されている。
そう言われるとものすごく心配になって、ここまで来てせっかく手に入れた孔明様の鳥の羽の扇が、果たして日本に持ち帰れるのか?と、帰国まで心配を引きずることになる。

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五丈原観光を終えて駐車場に向かう途中、ワンさんの歩く後姿を見て、彼女に入場料を返さなければと咄嗟に思った。
財布から100元を取り出し、彼女の肩を叩いて
「入場料を出してくれてありがとう。これをどうぞ」
と言って渡そうとした。
すると、

「プーヤオ、プーヤオ。プーヤオ、プーヤオ!」

そういえば思い出した。
日本を旅立つ前に覚えた俄か仕込みの中国語の中に、確か「不要(プーヤオ)=必要ない・いらない」という言葉があったことを。

はちぶんはこの時ワンさんのおかげで、「ニーハオ」「シェーシェー」に加えて3つめの「プーヤオ」という実用的な新しい中国語を覚えたのであった。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(18)《いざや、五丈原!》 2014/08/05(火)

【三日日】

《いざや、五丈原!》

日本には土井晩翠が作詞した『星落秋風五丈原』という歌がある。

祁山悲愁の風更けて 陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しづか
丞相病あつかりき 丞相病あつかりき

夢寐に忘れぬ先王の いまわの御こと畏みて
心を焦がし身をつくす 暴露のつとめ幾とせか
今落葉の雨の音 大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに 丞相病あつかりき

歌はこんな調子で5、6番まで続くが、「丞相」とは言わずと知れた諸葛亮孔明のことで、歌の意味は―――、

重い病に倒れた孔明が率いる蜀軍は、いまや秋風にさらされ旗は弱々しくなびき、戦の合図となる鼓や角笛の音も鳴らずに静まりかえっている。
今は亡き先王(劉備玄徳)の遺言は夢にも忘れたことはないが、孔明が死んでしまったら、いったい漢王室の行く末はどうなってしまうのだろうか。
けっして死ぬことはできないのだ!

とまあこんな感じだろうが、結局孔明はそこ五丈原で命が尽きてしまう。

吉川栄治の『三国志』では、それを『天命』と言っていたと記憶するが、孔明様にとっては死んでも死にきれない心境であったろう。

その終焉の地こそ「五丈原」なのだ!

朝8時45分ロビー集合。
はちぶんのわがままで同行することになった地元の青年たちも、きっといい迷惑に感じていることだろう。

養蜂事情の視察なので、さすがに気が引けたはちぶんは、
「五丈原方面で、何か養蜂と関係する場所はないですか?」
と聞いてみた。

「ひとつだけあります」

(それだ!)
と総一郎さんの顔を見つめれば、

「アカシアが咲く場所と重なります。でも今は時季を過ぎました」

はちぶんはしゅんとしたまま車に乗り込んだ。

車の中で驚いたのは、地元の運転手さんは五丈原という地名は有名なので知っているが、孔明様のことは知らないということだった。

(なんだ君たちはもぐりか!)

とよほど言いたかったがやめておいた。

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果たして国道045号線を西に2時間ほど車からの景色を眺めていると、「蔡家坡」というインターチェンジで降りて南進し、いよいよ五丈原のある「五星村」と書かれた鳥居のような門をくぐった。

「五星村」とは珍しい地名だが、実は孔明様が死ぬとき5つの星が空から降ってきたという言い伝えがある。
土井晩翠の『五丈原』のタイトルにも『星落(ほしおつ)』とあるのも、もしかしたらこの逸話も関係しているのかも知れない。
やはり現地に来てみないと分からないものだ。

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そこからアカシアが生い茂る険しい山道をぐんぐん上り、ついに五丈原の駐車場に到着した。

「ここが……、ここが……!」

はちぶんはものすごく嬉しかったが、先ほどから尿意をもよおしていた。

「ひとまず感激する前にトイレを探さねば!」

そうして見つけたトイレに入ったら……、

そこには文字をもってしてとうてい書くことを躊躇してしまうおぞましい光景がっ!

中国の公衆便所特有の細長く溝があるだけの便器のようなものに……

…………、

いや、やはり食事中の方もいるかもしれないので書くのはやめておこう。

目をつむって小の方を足して、逃げ出すように飛び出した。
するとそこに待ち構えていたのはトイレの管理人のおばさんだった。

訳の分からない中国語を並べて、どうやら
「金を払え!」
と言っているようだ。

(あんなモノを見せられた上に金を払えというのか!)

しかもいくら払ってよいか分からない。
財布の中には日本を出る時に両替した100元札が入っているだけだった。

ちなみに1元が18円の換算だったから100元といえば2000円近くの価値がある。
たかが小便一回にそれはあんまりだ!

そこへノッポさんが助っ人に来てくれた。(頼りになるのう~!)

「5角だそうです」

1角は1元の10分の1だから、5角といえば日本円に換算して約9円。

(そんな細かい金もっとらん!)

そこは優しいノッポさんが立て替えてくれた。

気を取り直して、はちぶんは念願の五丈原に立ち、そこから見える景色を一望した。

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ここに来る前のイメージは、名称に「原」の字が付くことから、ただだだっ広い草原のような場所のように思っていた。
ところが実際来てみると、そこは切り立った崖の上にある
まさに城塞だ!!

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「さすがは孔明様!
こんな場所に陣を敷いたとあっては、さすがの魏の司馬懿(しばい)は手も足も出せなかったに違いあるまい!!」

と感嘆の声を漏らさずにいられない。

そもそも五丈原の「五丈」とは、切り立った山の高さを表しているのだそうだ。
日本で1丈は約3・03メートルだが、もともと古代中国では人の身長を表すのに使われていた単位だそうだ。
それにしても5丈といっても3×5で15メートル。
実際はもっと高いはずである。

後で調べてみるとその標高差は120メートルということだった。
そこは中国人の大ざっぱな性格があらわれていると総一郎さんは笑っていたが、ちなみに「原」とは「台地」の意味で、はちぶんの認識が根本的に間違っていたことを思い知らされた。

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やはり現地に来てみなければ分からないものである。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(17)《『海泉湾維景大酒店』トイレ事件》 2014/08/05(火)

《『海泉湾維景大酒店』トイレ事件》

部屋に戻ってトイレに入った。

ところが―――

水を流そうとしたところが最初ちょろりと流れただけで、それからは全く流れない。

「こりゃいかん!」

と、酔いで頭をクラクラさせながらあちこち動くところをいじっていたら、

ポチッ!

と押してしまったのが『非常連絡』のボタンであった。
すぐさまフロントから電話が入り、電話口の向こうから訳の分からない中国語が飛んできた。

「わたしゃ中国語わからんアルね。ごめんなさい、間違えました!」

と日本語で対応したが、間もなく総一郎さんが「どうしましたか!」と飛んできた。
仕方がないので、水が流れない事情を話したら、

「日本に比べて中国のトイレはあまりよくないね」

と言いながら、水を溜めるタンクの蓋を開いて弁を調節したら、その後は水が弱々ながら流れるようになった。

翌日ケンちゃん社長にその話を伝えたら、
「オレのトイレも流れないんだよ」
と、どうやら一晩中そのまま流さないでいたらしい。
「おまけにバスの栓も外せなかったから、強引に指ではずしたよ」

そういえばはちぶんの部屋も同じであった。
しかしいろいろ動かすことが好きなはちぶんの場合は、給湯口をものすごい力で回せば栓が空くことを発見していたから、そのことを社長に教えてあげた。

見た目は豪華で申し分ないが、細かいところで「残念っ!」が多い中国のホテルであった。

それはそうと
「今日こそはブログを更新しなければ!」
と、PCを出してインターネットにつなげてみれば、今度は無事に接続できて、養蜂家の王さんのことを記事に書いた。

横になってテレビを付けたら、これが共産主義の国なのか?と思うほど賑やかなバラエティ番組が放送されていた。

街の様子もテレビの内容も、だんだん現代の日本の文化に近づいていることを感じた。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(16)《蜂蜜談義と日中友好》 2014/07/25(金)

《蜂蜜談義と日中友好》

リュウさんは上機嫌で
「さあ飲んでくれ、飲んでくれ」
と、人に大白酒を飲ます飲ます。

おまけにワンさんまでがカワイイ顔で、
「はちぶんさん、乾杯しましょ」
と杯を持たせるものだから、単純なはちぶんはいい気分になって、アルコール度数のことなどすっかり忘れて、二日目の今晩もベロンベロンになってしまった。

旅慣れたキャリーさんは上手なもので、注がれた大白酒を水で薄める現場を、ケンちゃん社長はしっかり目撃していた。

その間、はちぶんがブログでやっている『はちみつトッピング』で、蜂蜜と何を混ぜたら美味しいかなどの話をしていたが、これまで蜂蜜に関して思っていた疑問をキャリーさんにぶつけてみることにした。
それはもしかしたら蜂蜜を販売する上で最も重要で、かつ根本的な重大問題であるかも知れない。
ともすれば、夜を徹しても結論を見い出すことはできないだろう。

「西洋では大昔から蜂蜜が生活の中にあったのに、日本や中国などの東洋では、どうして蜂蜜は一般的にならなかったのでしょう?」

するとキャリーさんは、
「パンにつけると美味しいからでしょ!
私パンにつけて食べるの大好きなの!」

(おい、それが結論かい!はやっ!)

しかし案外その通りかもしれないと思う。
地域によって気候も地質が違えば当然食材も違って、生まれる食文化はその地域独自の料理を生み出すわけだ。
西洋の主食は小麦からできるパンであるのに対し、日本はお米であり、中国はお米もそうだし饅頭や麺などである。
東洋の主食は蜂蜜で甘くして食べるというより、香辛料で味付けをしたり、日本のように旨味を追及するといった方向へ向かったのも必然だったかもしれない。

しかしはちぶんの持論はこうである。
それは西洋ミツバチと、東洋ミツバチ(日本蜂もこの仲間)の性質の違いである。
西洋ミツバチは養蜂しやすいが、東洋ミツバチは非常に飼うことが難しいためだということだ。
今日見て回った養蜂家も全て西洋ミツバチだし、どうやら蜂蜜需要量のこの格差は、ミツバチの種類によるものではないかと考えている。

結論はどうあれ、とにかく蜂蜜を売らないからには商売は成り立たない。

時間は0時近くになっていた。

「そろそろお開きではないか?」

そんな雰囲気が漂った時、総一郎さんが、
「日本では宴会の席ではどのように終わるのか?」
と聞いてきた。

「社長、あれをやりましょう」
『あれ』とは長野県の北信地方で、酒の席のお開きの場面で一般的に行われる『一本締め』のことである。
本来なら『謡い』など交えてやるが、ケンちゃん社長もはちぶんも『謡曲』を知らない。

僕は一本締めのやり方と「あるを尽くして」の意味を説明し、ならばその前に中国の『乾杯』をしてからそれをやろうということになった。
中国と日本では『乾杯』の意味も発音もほぼ同じなのだ。

リュウさんが音頭を取って
「乾杯!」
続いてケンちゃん社長が
「よ~~~おっ!」
と言った後、全員で「シャン!」と手を叩いた。

中国の国土から見れば、それは非常に小さな小さな人と人とのつながりかも知れない。
しかしそれは、やがてとてつない大きな友情の流れになることを信じて、皆で拍手をし合った。

「ではみなさん、あるを尽くして歓談を続けましょう」

と再び談話が始まり、宴会は続く。

暫くして再び総一郎さんが、
「ほんとにこれで最後という終わり方はないのか?」
と聞いてきた。
「ないこともないが『三三七拍子』というのがある」
と言ったら、
「明日も早いし、それならそれをやって終わりましょう」
と言った。

ケンちゃん社長は「オレはもうダメだ」と言うし、仕方がないのではちぶんが音頭をとることになった。

「では皆様、お手を拝借。
日本と中国の友好を祈念いたしまして、三三七びょーし!」
「♪♪♪、♪♪♪、♪♪♪♪♪♪♪」
「よっ!」
「♪♪♪、♪♪♪、♪♪♪♪♪♪♪」
「はっ!」
「♪♪♪、♪♪♪、♪♪♪♪♪♪♪」
拍手~!!
きっとそこにいた全員が、政治的な思惑のない日中友好を願っていたに違いない。

はちぶんはヘベレケになって部屋に入った。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(15)《明日の日程》 2014/07/25(金)

《明日の日程》

帰りは途中からワンさんが車の運転をしてくれた。
運転席に乗り込んだ時、彼女はルームミラーの角度を変えたが、はちぶんのところからミラーにはワンさんの美しい瞳がダイレクトに映った。

(も、もしかして、ワンさんははちぶんに気があるのか?)

シャイなはちぶんは目のやり場に困ったが、眠気が襲ってアイコンタクトを交わすには至らなかった。(残念!)

今晩宿泊する西安市の『海泉湾雑景大酒店』に到着したのは夜の9時を回っていた。
荷物を部屋に置いて、休む間もなくホテル内のレストランで食事となった。

みな席に付くと、リュウさんが嬉しそうに抱えていたのは昨晩も飲んだあの『大白酒』ではないか!
「余りがまだあるぞ!」
と、昨日の飲みかけとあと新品のボトル1本をテーブルに置いた。

昨日確かに1本は空けたはずだから、もう1本余計に合計3本の『大白酒』を仕入れて隠し持っていたのだ!(やるな!この男!)

おまけに丸テーブルには昼も食べたマーボー豆腐がっ!

「このマーボー豆腐はまた違うのだ!」

と、総一郎さんの講釈を聞きながら、笑うしかないはちぶんである。

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「明日の予定ですが……」

と総一郎さんが話し出した。

「本来ならあと数軒養蜂家を回りたいところでしたが、今日行ってわかったように、養蜂家のいる場所は遠く、行って帰ったら上海行きの飛行機に間に合いません。
従いまして明日は観光に時間を当てようと思いますがどこへ行きたいですか?」

事前に知らされたスケジュール表にも、現地2日目は雨天の場合の予備日に当てられており、具体的には決まっていなかった。

総一郎さんが挙げた候補は2つ、

「秦始皇帝陵博物院か、それとも五丈原―――」

このときはちぶんの目がらんらんと輝き出した。
ノッポさんが、僕が『五丈原』に行きたがっていることを総一郎さんに伝えてくれていたのだ!(ありがとう!ノッポさん!)

ところが歴史に詳しい総一郎さんは、
「五丈原に行っても何もありませんよ。できれば秦始皇帝陵博物院の方がいいでしょう」
と、あまり連れて行きたい場所ではない様子。
おまけに周囲の反応も冷ややかで、聞けば西安から2時間くらい離れた場所にあると言う。

『秦始皇帝陵博物院』とは秦の始皇帝のお墓で、あの世界的に有名な『兵馬俑』が見られる場所であり世界遺産にも指定されている。
かつてNHKの『シルクロード』という番組を見て、一時ははちぶんも魅了されたことがある。

しかし年を重ねて今は断然

『五丈原!』

そこに遺跡が残っている・いないでなく、広い中国の目と鼻の先にあるここにまで来たからには、是々が非でも諸葛亮孔明様終焉のその地を、自らのこの足で踏みしめたい!

ケンちゃん社長は「どっちでもいいよ」と、まるで興味がない様子。
結局、最終的な決断をはちぶんに委ねる形になった。

「どうしま……」
「五丈原っ!」

こうして翌日の行動は、はちぶんが夢にまで見たあの『五丈原』へ行くことになったのである!

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(14)《養蜂家陽明軍さん夫妻》 2014/07/25(金)

《養蜂家陽明軍さん夫妻》

次に訪問したのはやや町中で養蜂をする陽明軍さん夫妻。
町中といっても周囲には緑が生い茂るのどかな農村地域である。

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陽明軍さんの養蜂も巣箱の置き方から採蜜のやり方まで、先に視察した王学銀さんと同様だったので、ここでは中国の移動養蜂をする家庭の暮らしに目を向けてみたい。

陽明軍さんは四川省の出身で、1967年生まれというから今年47歳になる壮年である。
養蜂歴は10年で、150群の巣箱とともに花の開花に合わせて移動養蜂をしている。

今年は4月に地元四川省で菜の花を採蜜し、その後、甘粛省のここ慶陽市に移動してアカシア蜜を採取していると言う。

蜂場に入って真っ先に目についたのはテントの近くに設置した2枚のソーラーパネルだった。
それで生活に必要な電気をおこしているのだ。

一つの巣箱の上にはパラボラアンテナまで設置してあり、移動養蜂とはいえ、生活の近代化はこんなところにまで進出している。

生活の拠点になっている蒼緑色のテントの中を見せてもらった。

広さ9畳ほどのスペースには、ベッドや机、小型のプロパンガスやガスコンロなど、あとは食器ややかんや歯ブラシ、小さな小物はレジ袋に入れてテントの骨組みに吊るし、必要最低限の生活用品が整然と、しかもコンパクトにまとめられているのを見ると、人間はこれだけの物があれば十分生活が可能なのだなと、改めて日本の生活の無駄が多いことに気付かされる。

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夜や雨の日は、14インチくらいのテレビを見ながら、夫婦で日がな一日を送っているに違いない。

陽明軍さんには1歳半のお孫さんがいるという。
そう言われて気になるのは、移動養蜂をしている方たちのお子さんのことである。
まだ小さい子どもがいる場合、学校がある子どもをどうしているのかということだ。
1ケ所での滞在期間が1ケ月程度としても、まさかその都度転校させるのではあまりに可哀想だ。

移動養蜂をする人が移動をくり返すのは花のシーズンである。
従って花の咲かない冬などは、地元の実家に戻って暮らすことになる。
なので家を持たない遊牧民とは違う。

話を聞けば、子どもは実家の両親などに預けているのだそうだ。
子どもにしてみれば可哀想な話だが、生活の糧を得るには仕方がないのだろう。

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6月に入ったら陽明軍さん夫妻は陝西省の北の方へ移動するそうだ。
そこでアカシア蜜と百花蜜を採蜜する。

更に9月には甘粛省の渭源原という場所に移動して、漢方で使われる党参(とうじん)を蜜源とした蜂蜜を採取する予定だそうだ。
党参蜜は血流などに効果があり、布などに塗って体に貼れば湿布の役割を果たすという。

その後、10月になったら地元の四川省に帰り、そこでお茶の花粉を集め、そのままミツバチを越冬させる。
四川省は比較的気温が一定しており、越冬地に向いているのだそうだ。

咲く花々を求めて移動をくり返す移動養蜂―――。
移動はいつもトラックをレンタルし、巣箱をはじめテントや養蜂具材、生活用品一式を全て積み込んで1回で済ます。
生活をしていくのはどこの国でもたいへんだ。

「今年の蜂蜜はどうですか?」
「菜の花は例年並みでしたが、アカシアの方は豊作です」

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ケンちゃん社長は陽明軍さん夫妻と握手を交わすと、一行は次の視察場所に向かうため車に乗り込んだ。

時間を確認することも忘れていた―――。

朝8時過ぎに西安のホテルを出発して現地に到着したのが13時過ぎだったから、片道で優に5時間以上、道のりにして300キロ近いのではなかろうか。
移動がたいへんな旅になることは覚悟していたが、実際体験してみるとやはり過酷なものである。
ケンちゃん社長などは、
「(座りっぱなしで)ケツが痛くてたまらない」
と嘆いていた。

日程はかなり押しており、ついに3件目の訪問は断念することになる。
準備をされていた養蜂家の方には非常に申し訳ないが、はちぶんの力ではどうしようもない。

(水の飲み過ぎで、あちこちで小用を足していたはちぶんのせいか?申し訳ないっ!)

こうして一行は今晩宿泊予定の西安のホテルへ向かった。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(13)《崖の上のはちぶん》 2014/07/17(木)

《崖の上のはちぶん》

それにしてもものすごい地形をした場所だ。

すれちがいもできないほど狭い土の道路のすぐ横は切り立った崖だし、山肌が露出した所にはいかにも仙人が住んでいそうで、うっそうと茂る木々の中には妖怪でも住んでいそうな雰囲気のある風景だ。

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そんな隘路をしばらく進むと、カーブの所で再び一行の車は停車した。

「またアカシアの観察か?」

と、車を降りれば、そこもニセアカシアの木が生い茂っていた。

ところが50メートルほど下の道沿いを見れば、リュウさんの車が1台の車を牽引してものすごいエンジン音をたてている。
そう、それは昨晩両親の養蜂の状態を見に山にあがってきた王松さんの乗用車で、深い溝にはまって立ち往生しているのであった。

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そのときそこには視察の我々も含めて10名以上いた。
はちぶんはすぐに思った。
(あんなものはこれだけの人数がいればすぐに持ち上がるよ)
と。

それは僕が以前中国から学んだことだ。

というのは、中国では有り余る人の力を利用して、本来なら機械を使うところも全て人力でこなしてしまうという、すなわち人海戦術というものである。
思えば少し意味合いが違うが、北京オリンピックのあの開会式の人が織りなす機械的な芸術を見ただろうか?
何千もの人間が一糸乱れずひとつのことを成していた。

近づけば、スリップでタイヤのゴムが焼けるニオイと、ガソリンのものすごいニオイが辺りに充満している。

「みんなで押せばあがるよ」

と言ったが、日本語では通じるはずもない。

やがて別の車に変えて、今度は王松さんの車の正面に移動して引き出そうとした。
すかさずはちぶんは王松さんの車の後ろに回って押そうとしたら、近くの人たちも手伝ってくれ、溝にはまった車は雑作もなく脱出できた。

それにしても王松さんの車のタイヤの溝はすでになく、ツルツルだったことに苦笑した。

中国には車検というものがない。
一度車を購入したら、故障して動かなくなるまで乗り潰すのだそうだ。

切り立った崖の上にはちぶんは立った。
足をすべらせたら命はないだろう。

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足元をのぞけば2、30メートル下の方には畑が広がっている。
その向こうにはアカシアの花、花、花―――。

周辺を歩いてその景色を写真におさめた。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(12)《養蜂家王学銀さん一家》 2014/07/17(木)

《養蜂家王学銀さん一家》

車は広い麦畑が広がる民家のある前の道に静かに止まった。
いよいよ今回の視察の最大の目的、現地養蜂家とのご対面である。

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↑地元の方が「いったい何事か?」といった様子で見ていた。

一軒目は先ほど一緒に食事をした王松さんのご両親のところである。
はちぶんはビデオカメラをひっさげ、車を降りた。

7、80坪くらいの広さの空き地に、2段の養蜂箱がずらりと並び、その上空をミツバチたちが音をたてて舞っていた。

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聞けばここでは196群の巣箱を扱っており、ここに来る前は3月、家のある四川省で菜の花蜜を採蜜し、その後湖北省に移動してそこでも菜の花を採った後ここに移動してきたのだと言う。

ケンちゃん社長はさっそく王学銀さんと握手を交わすと、巣箱の状態を見てまわり、その中のひとつの箱の蓋を取って中の状態を確認した。
この後も数軒の養蜂家を訪ねる予定なので、ゆっくりしている時間はない。

ノッポさんの通訳で細かなことを尋ねているようだが、はちぶんはその様子を撮影するのに必死なのだ!

あご髭をたくわえた王学銀さんは、現在御年57歳。
養蜂歴35年のベテランである。

花の開花時期に合わせて住む場所を移動し、テントを張って採蜜をくり返しながら、奥さんと一緒に生活している。
今はこの辺りが一番の花の盛りで、この後、再び移動をして泾川の方へ行くという。

泾川といえば最初に行こうとした目的地ではないか?

(そうか、泾川はまだ花が咲くには早いのか)

視察場所の決定が当日のその日になってしまうほど、養蜂家の居場所を特定するのは難しいことなのだと、このときはちぶんは初めて知った。

広い蜂場には2段の巣箱がぎっしり並べられているわけだが、疑問に思ったのはその置き方。

鈴木養蜂場では巣門の方向を同じ方角に向けて整然と巣箱を設置するが、王学銀さんは“ロの字型”、つまり巣門をロの字の内側に向けて設置している。

聞けば、
「巣箱の置き方は、各養蜂家がそれまで蓄積してきた経験に基づいて決めている」
とのことである。
なるほど、そう言われてしまえば納得するしかない。
これが正しいという養蜂のやり方などないのだ。

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また、中国式養蜂の特徴の一つに、ひとつの巣箱に女王バチを2匹入れて養蜂するやり方が一般的となっている。
中には6匹も7匹も入れて飼う養蜂家もいるということだが、そんなことができるのか?
と思ってしまう。

やり方としては、2匹の女王バチのうち1匹の方のフェレモンを出す器官を取って飼うのだが、そうすることによって一つの巣箱でより多くのミツバチを飼うことができるのだ。

鈴木式養蜂にはないやり方だが、それ以前に、日本ではそれほど大量にミツバチを養蜂するほどの蜜源がない。
また、女王バチの数によって採取される蜂蜜にどのような味の違いや影響が出るかまだ研究段階だが、いまのところミツバチを大量に飼うことを目的とした中国式養蜂に問題はないと考えている。

それより消費者に知ってほしいのは、

日本のスーパーなどで大量に扱われている濃縮蜂蜜や加糖蜂蜜は、いったい蜂蜜生産過程のどの段階で決められているのか?

ということである。

実は答えは簡単で、いま我々がいるこういった養蜂家さん一人一人の採蜜方法にあるのだ!

もっと具体的にいうと、ごくおおざっぱだが、

養蜂家さんが採取する蜂蜜が『完熟』か?『そうでない』か?

なのである。

『完熟』状態の蜂蜜を集めるには、通常5日から1週間という時間が必要とされている。
ところが、大量の商品を流通させたい業者は、より多くの蜂蜜を集めたいがために、契約農家に完熟になる数日前に採蜜させてしまう。
蜜源には困らず一つの巣箱にミツバチも大量にいるから、その方が採蜜のサイクルが早く、量もたくさん採れ、その分コストも安くおさえることができる。

そのカラクリを知らない消費者は、まんまと安い濃縮蜂蜜や加糖蜂蜜を買わされているというわけだ。

社長が巣枠を確認した時は、巣に蜜はたまっているが、蜜ぶたがかかるまで、つまり完熟になるまであと2、3日という状態だった。
濃縮蜂蜜だったらこの段階の薄い蜂蜜を採取してしまい、あとは熱して水分をとばして味を濃くして市場に運ぶのだが、鈴木養蜂場で扱うにはそういうわけにいかない。

「蜜ぶたがかかるまでもう2、3日待とう」

社長は次の巣箱をのぞきはじめた―――。

特に問題はなかったようだ。

次に、中国式蜜搾り体験だ。
いつも電動でやっている作業も、手動となるとけっこう新鮮な気持ちになる。

昨日西安の蜂蜜店で見たのと同じ手動式の遠心分離器に2枚の巣枠を入れて、グルグルと回してみると、底に蜂蜜がみるみる溜まる。

最後に缶ごと持ち上げて、容器に蜂蜜を流し入れた。

はちぶんも採れたての蜜を舐めさせてもらった。
甘い蜂蜜の味がしたがどうしたことか?
日本の蜂場で採れる蜂蜜は、食べると口中に“キーン、カーン”とした味覚を感じるのに、中国の蜂蜜はただ甘いだけで、“キンカン”としたあの独特の風味が感じられない。

社長は濃度のせいではないかと言うが、同じ完熟蜂蜜でこの違いはいったい何だろう?

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一抹の疑問を残しながら、一家と記念写真におさまって、次の養蜂家のいる場所へ向かうため、はちぶんたちは車に乗り込んだ。

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↑あまりにのどかな農村風景であでる。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(11)《またマーボー豆腐?》 2014/07/17(木)

《またマーボー豆腐?》

いよいよ甘粛省に入った。

あれからずっと走り続けて、もう正午を回っているというのに、目的地にはいっこうに到着しない。

その後、ようやく高速を降りたのは13時過ぎで、そこは甘粛省慶陽市寧県和盛という場所で、ここで少し遅めの昼食をとることになった。

入った店の名は、
『特色中餐』―――

おそらくこの辺りでは最高級の飲食店なのだろうが、「特色」のある「中(華料理)」を「餐=飲食する場所」とは、昨晩の経験からすると、なんとも怪しげな名前である。

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昨晩同様、小洒落た部屋に通されるとすかさずリュウさんが、
「お酒は何を飲むか?」
と聞いてきた。

(君たちは昼間っから酒飲むんか~い!)

ケンちゃん社長は
「日本には昼間からお酒を飲む習慣はあまりない」
と丁重にお断りしたが、そこで出てきた料理がまた山椒に黒酢に唐辛子の三拍子そろった超豪華な料理だった。

次々に並べられる中には、確か昨日も食べたマーボー豆腐が置かれている。
総一郎さんによれば、
「昨日食べたマーボー豆腐とはこんな素材を使ってこんな味付けをしていてこんな風に違う」
と得意そうに語っていたが、食べてみたら、

(どこが違うんじゃい!)

と、味の違いがまったく分からないはちぶんだった。

「総一郎さんって本当にお詳しいのね!」
と、フォローしたのはキャリーさん。
さすがっ!

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↑見た目の美味しさと味が一致しない料理の数々

一方、左45度福原愛ちゃん似のワンさんは、よほど話し上手かおしゃべりなのか、終始楽しそうに談話をしていた。
「次に来る時は中国語を勉強して来よう!」
と、密かに思うはちぶんである。

やや緊張した面持ちで、我々と一緒に食事をする5、6名の現地同行の青年たちがいた。

聞けば全員蜂蜜関連の仕事をしている方たちで、中にまだ20代前半のほっそりした小柄なひとりの青年がいた。

ノッポさんが、
「彼がこれから行く養蜂家の息子さんです」
と教えてくれた。

名を王松さん。
現在、四川省で蜂蜜専門店を経営しながら卸の仕事をしているという。

後で分かったことだが、彼は今日我々が養蜂の視察に来るということで、昨晩、養蜂の状態を確認するため両親のいる山里に登ったのだそうだ。
ところが険しい峠道、おまけに街灯などない真っ暗な中、車の車輪が溝にはまって抜けられなくなってしまった。
仕方がないので車を放置し、そこから何キロあるか知らないが、独りトボトボ歩いて両親の生活しているテントに向かったという。

まったく申し訳ないことだが、我々の視察の背景には、こうして人知れず働いている人たちがいると思うと、けっして無駄にはできない時間なのだ。

昼食を終え、いよいよ下道を養蜂家のいる場所へ向かう。

まだ舗装などされていない道路沿いにはなんとも懐かしい、はちぶん的には大好きな中国の素朴な民家が並んでいた。

不思議に思うのは、その家々の玄関には大きな文字が飾ってあることだが、ノッポさんに尋ねたら、
「あれは春連(チェンレン)という風習です」
と教えてくれた。

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春連とは春節(中国の旧正月)を祝うため、家の門の両側や入口の扉などに文句を貼る風習のことで、日本の短歌のように上の句と下の句があり、門の左側には上の句を貼り、右側に下の句を貼り、中央には“福”などの縁起の良い文字を貼って春の訪れを祝うのだそうだ。

この習わしは紀元前から続いており、昔は木で彫刻されたものを、朝廷とか地位の高い家でしか行っていなかったようだが、宋の時代頃から紙に変わって、その後各地へと普及していったそうである。

今から1500年前というから、やはり日本とは歴史のとらえ方の感覚が根本的に異なっている。

悠久の歴史を持つ中国、万歳!

である。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(10)《ニセアカシア群生地帯》 2014/07/08(火)

《ニセアカシア群生地帯》

永寿服務区を出て、周囲はますます田舎になってくる。
ここまで来ればPM2・5の心配もないだろう。

車のフロントガラスには、黄色い液体でできた小さなシミが何か所にもついている。
「このガラスについた黄色い斑点はみんな蜂蜜ですよ」
と総一郎さんが教えてくれた。
蜂蜜を運ぶミツバチが、走る車にぶつかった際に飛び散った跡なのだ。

なるほど辺り一面にはニセアカシアが群生している。
その規模は日本の比ではない。

走れど走れど途切れることのないアカシアの風景が広がっていた。



ケンちゃん社長が面白い言い方をしていた。
「長野の北信地方では千曲川沿いにポツラポツラと小さなアカシアの林が申し訳なさそうにあるだけだが、中国は、北信地方でいう善光寺平一帯がすべてアカシアで埋め尽くされている!」
と。

(なるほど!分かりやすい!)
と感心するはちぶんだった。

まだまだ花はたくさん残っているが、当の養蜂家たちは更に花盛りの地へと北上してしまっているという。
一行はその後を追いかける形になっているわけだ。

「これだけあれば移動養蜂などせずに、定置養蜂でも十分稼げるのではないか?」

と考えてしまうのは日本の養蜂家の発想で、国土の広い中国では、花があっても道がなければ巣箱を置くことができない。
もっと重要なのは移動先での水の確保で、蜜が採れる間はテントで生活するわけだから、おのずと人里に移動することになる。

とはいえ、まさに宝の持ち腐れだ。

そこではちぶんは疑問に思う。
もともとニセアカシアの原産地は北米の方で、中国には自生していなかったはずである。
とすればこの辺り一帯に群生するアカシアはどこから来たのか?

そこは物知りの総一郎さんの出番である。

「もともとは植樹されたものです」

であるとするなら恐ろしすぎる繁殖力である。
日本でニセアカシアが特定外来種に指定されようとしているのも理解できないことでない。
要するに人と自然との共生を考えなければいけないということだろう。

陝西省咸陽市永寿県の道路沿いで、一行の車はハザードを点滅させ停車した。

中国では「省」が日本で言うところの「県」にあたり、中国で「県」といえば「市」の直轄下、つまり日本で言うところの「町」にあたる。

時間を見れば10時45分、ホテルを出てから2時間半経過したことになる。
ここでアカシアの花を観察しようというのだ。

ファイル 631-1.jpg

車から降りた瞬間、アカシアの香りがプ~ンと漂ってきた。

(とってもいい香り~!昇天しそう)

はちぶんは咲くニセアカシアの花を写真におさめた。

日本の花と別段変わったところはない。
普通のアカシアの花である。

ファイル 631-2.jpg

しかし咲いている面積規模が違うということを考慮に入れると、きっとこの地で採蜜されるアカシア蜜は、日本の物よりアカシアの純度が高いだろうと、小学生でも分かりそうな結論を導き出した。

では、なぜ、こんなに自然が豊かな中国で採れる蜂蜜が、日本では敬遠されてしまうのだろう?

これこそまさに、今回の視察で日本の消費者にお知らせしたい事なのだ!

はちぶんは、この巨大にして根深い魔物を前に、遥か彼方まで続くアカシア群生地帯をじっと見つめるのであった。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(9)《黄土高原》 2014/07/04(金)

《黄土高原》

それにしても奇妙な地形である。

山が段々になっており、傾斜の部分の土がむきだしになっているのだ。
傾斜の部分とはいわゆる崖である。

ファイル 630-1.jpg

「この辺り一帯は黄土高原と言います」
総一郎さんが教えてくれた。

黄土高原―――

それは中国四大高原のひとつにも数えられている、中国でも特別な地形を形成している場所である。

ちなみに中国四大高原とは、

1.チベット高原
2.内モンゴル高原
3.雲貴高原(雲南省・貴州省)
そして、
4.黄土高原

である。
ものの本によれば……黄土高原とは、

黄河中流域に広がる海抜1000から2000メートルの高原地帯で、年間の降雨量は300から700ミリの半乾燥地で、強風によって砂漠から運ばれた黄砂が長い年月をかけて70メートルほどの厚さに堆積しているのだそうな。

黄砂というのは石英を主成分として保水力が低く、乾燥するとカチカチに固まる性質を持っていて、大昔は草木が茂る豊かな自然の地であったが、気候の変化や無計画な木々の伐採、開墾等によって土壌の浸食が進み荒涼化した―――

とあるが、ここでは総一郎さんが解説してくれた内容を忠実に残しておきたい。

この辺り一帯は大昔は大平原だったそうである。

大昔というのは有史以前。
ところがそこを流れる河によって地表が次第に削られていき、長い長い年月をかけて現在見られるこのような地形になったと言う。

ちなみに中国では、日本で言う「川」のことを一般的に「河」や「江」という字を使う。
「川」というのは、山の中に流れる小川とか渓流のようなものをさすのだそうだ。
はちぶんがいつも見慣れた千曲川など、中国においては小川なのだ!

話は続く。

だから見た目は山のように見えるが、そのてっぺんには頂上というものがなく、どこも平坦な土地(平野)が広がっているだけなのだ。

面白いのはむき出しになった土の部分に、人が入れそうな穴がいくつも空いていることである。

これは「窟洞(ヤオトン)」と呼ばれる人家だそうで、1960年頃まで実際に人が生活していたそうだ。

ファイル 630-2.jpg

しかしこんな地形では、水の確保をするにも作物を育てるにも、さぞたいへんだったことだろう。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(8)《福銀高速G70線》 2014/07/04(金)

【二日日】

《福銀高速G70線》

昨日の雨はあがったが、外は曇り空だった。

ファイル 629-1.jpg

いや、もしかしたらこのどんよりとした空気は、PM2・5によるものかも知れない。

天気予報によれば、本日むかう甘粛省の泾川という場所は“晴れのち曇り”だそうだが、はちぶんは部屋の窓から西安の街を眺めながら、
「とりあえず雨さえ降らなければひと安心だ」
と胸をなでおろした。

朝食をとって8時15分にロービーに集合し、そこからリュウさんが手配してくれた地元で養蜂関係の仕事をする青年たちの車に乗って、福銀高速G70線という道路を陜西省西安市から甘粛省へと走らせる。
天気はたまに陽がさすほどに好転し“晴れ男はちぶん”の面目躍如である!

高速道路脇に植樹してある濃い紫色をした植物が気になって、総一郎さんに聞いてみた。
ところが歴史に深く詳しく下手なガイドさんよりよほど物知りな彼でさえその名を知らず、地元の運転手さんも知らないと首を振った。
僕の予想では空気汚染となにか関係しているのではないかと思うが、気になりだしたらどうしても知りたくなるのは心情だ。

中国の高速道路にはサービスエリアというものがとても少ない。
小便の近いはちぶんのために、途中、高速道路の路肩に車を止めてもらって用を足し、

(高速で車を止めるな~っ!)

時間のロスにはひんしゅくを買っただろうが(そっちかい!)、転んでもただでは起きないはちぶんは、用を足した場所に生えていた植物の観察をした。

生えていたのは、
(これは、日本ではよく仏壇に供えるシキミではないか……)
シキミには毒性があり、虫などを寄せ付けないと聞いたことがある。

そして目の前には気になっていた紫色の植物もあったので「日本に帰ったら調べてみよう」と、その葉を採取して車内で写真におさめた。

ファイル 629-2.jpg

高速を30分も走れば、西安では気になっていた霞んだ空気もだんだん気にならなくなり、大気汚染もその辺りまでは届いていないようである。
そこから目的地まではまだ遠く、西安からだと250キロほど離れた場所にある。

総一郎さんが左手の方向を指さして、
「あれは武則天の陵墓です」
と言った。
見れば遠くに小高い小さな緑の山が見える。

ファイル 629-3.jpg

武則天とは、日本では則天武后とも呼ばれている中国史上唯一の女帝の名である。

唐の高宗の皇后だったが、西暦690年に唐に代わって武周朝をうち建てた。
日本では飛鳥時代の後半にあたり、持統天皇が藤原京に都を移し、大宝律令の制定や、日本初ともされる和同開珎という貨幣が作られた頃でもある。
中国にはそんな歴史遺産があちこちに点在しているのだ。

もう2時間近く車を走らせただろうか?

『永寿服務区』というサービスエリアでトイレ休憩をとることになった。

ファイル 629-4.jpg

中国語で『服務』とは『サービス』のことで、『区』とは『エリア』を意味する。

日本語で『服務』といえば『仕事に従事する』という意味で、自分が属する仕事や組織のいわば上に対して『従う』といった意味合いが強いが、中国では一般の人たち、つまり下の人たちに『奉仕する』といった意味合いが強いのだなあと、ここでも日本と中国の違いを感じることができた。

それにしてもトイレに入った瞬間のあの強烈な異臭はいったい何だろう?

塩素と山椒と黒酢が混ざったような強烈なニオイ―――。

そういえば飲食店などの建物に入った瞬間、どこでも同じようなこのニオイを感じるのだ。
おそらく消毒の臭いではないかと思うが、はちぶんにとってはどうもいただけない。

思えば昨日の料理のせいか、ときたま体から黒酢と山椒の臭いが漂う気がする。
こうして何ケ月も中国に滞在していたとしたら、僕の身体もだんだん中国人化していってしまうのだろうか?

ところがひとつ、非常に感心したことがある。

永寿サービスエリア内の目立つ場所に、何かで表彰された人たちを顔写真入りで称えるポスターが貼ってあることである。
日本では新聞などでは紹介されることはあっても、長期的に掲示する場など見たことがない。
指名手配の張り紙こそよく見かけるが、こうした栄誉を称えるものなど皆無ではないか。

また、このサービスエリアの責任者や従業員は誰かがきちっと分かるように、こちらも顔写真入りで貼ってある。
日本ではJAなどで、野菜を作った農家が分かるように陳列棚に表示されるようになってきてはいるが、それはごく最近のことだ。

そこではちぶんは提案したい!
日本でもこれを導入すべきだと。

特に行政が運営するあらゆる施設には、誰が責任者であるかが分かるように、施設の一番目立つ場所に顔写真入りで表示させてはどうか?
そうすれば悪い事をする役人も少しは減るのではなかろうか?

合わせて公共に利をもたらした人は、どんどんポスターなど作って称えるべきだ!
―――と、

別に社会主義者ではないが、良いと思うことは真似していきたいと単純に思う。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(7)《艾斯汀酒店』》 2014/06/27(金)

《艾斯汀酒店』》

ベロベロになって気付いたら部屋のベッドに横たわっていた。

どこをどう歩いて部屋に入ったのかよく覚えていない。

そういえばケンちゃん社長と、

「せっかく中国に来たのだから、大衆が食べる本場のラーメンが食べたいね」

と、『人人居』を出てからホテル近くの麺屋に行ったことは覚えている。
ところがそこで食べたラーメンも、日本でいうラーメンとは大違いで、米粉で作ったような腑抜けた麺を、黒酢で味付けたスープに漬けただけの、とても奇妙な味がしたことだけは思い出せた―――。

ふと、

「いかん!寝てなどいられん!ブログを書かなければ!」

使命感に呼び起されて、はちぶんは荷物の中からPCを取り出した。
出発前、ノッポさんとの打ち合わせの際、ネット環境があるホテルに泊まれるよう要望を出しておいたのだ。
「ここでブログを書かなければノッポさんにも申し訳ない……」
ところがネットに接続しようと試みるも、ルーター等の機材はそろっているようだが一向につながらない。
無線がダメなら有線でと、あれこれ試してみたが結局ダメだった。

「もういいや……、寝よっと」

とベッドに横になったとき、部屋の電話が鳴った。

「ノッポですが、インターネットはつながりましたか?」
「それがつながらないんです」

するとノッポさんはすぐに部屋に駆けつけてくれ、
「実は私の部屋もつながりにくいのです」
と、少しPCや配線をいじっていたが、結局フロントに電話をしてくれた。

部屋に姿を現したのは、どう見てもIT関連が得意そうには見えない、どちらかといえばホテルのボイラーとか配電盤を管理しているような作業着姿の5、60代のおじさんだった。
配線を見るためテレビや机を無造作にずらし、ノッポさんとの訳の分からない会話をしながら、はちぶんは酔いで頭をクラクラさせてその光景を見つめていた。

ついにボイラーおじさんは根をあげて部屋を出て行った。

「誰かを呼びに行ってくれたのですか?」
と聞けば、
「いいえ、あの人はもう戻って来ないでしょう」
とノッポさんは答えた。

(部屋を荒らしに来ただけかいっ!)

ノッポさんは申し訳なさそうに再びフロントに電話をかけると、今度はフロントの女性従業員らしき人がやってきて、部屋に据え付けのPCを操作しはじめた。
今度はさっきのおじさんよりマシなようだ。

しかし依然ネットはつながらず、しばらくいじってようやくつながりはしたが、切断されたり接続されたりと、動きはまったく安定しない。
再びつながったところで女性従業員は出て行ってしまったが、
「ホテルのPCで更新するしかありませんね」
とノッポさんが言った。
「ネットにつながれば問題ありませんよ」
と、PCの置かれた机の椅子に座り、画面をのぞけば、

(中国語やないか~い!)

「URLを直接打ち込んでください」
と、やっと見慣れたアメブロの画面にたどりついた。

ノッポさんは使命を果たしたとばかりに部屋を出て行った。

ところがブログの書き込み画面を表示させようとしたところが再び切れて、付き合いきれないはちぶんは、そのままシャワーを浴びて眠りについた。

 

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