ミツバチと共に90年――

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はちとくま

香川県高松市出身の村山籌子氏は、『婦人之友』の記者として活躍し、童謡や童話を書いた児童文学作家でもあります。

自らは結核に冒されながら、劇作家であり小説家の夫村山知義や、プロレタリア文学の小林多喜二や中野重治等を支援して戦時中を乗り越えましたが、終戦の翌年、結核のため43歳の若さで亡くなりました。

そんな彼女の残した物語の中に「はちとくま」という作品があります。

『一匹の子熊が、森のなかから、のこのこと日あたりのいい、のはらに出てきて、倒れていた丸太の上にこしをおろして、うれしそうにフフンとわらいました。
子熊はふところから、はちみつを入れたつぼをとりだして、ゆびでしゃくって、ちびちびなめはじめました。
「いつたべても、うまいのははちみつだ。はちみつにかぎる。あまくって、おいしくって。」とひとりごとを言いながら、せっせとなめておりました。
すると、そこへ、一匹のみつばちが、ブーンととんで来て、子熊の帽子のまわりを、ぐるぐるまいながら、言いました。
「子熊さん。僕は、ほんとに、はらが立ってたまらないよ。」
「何がはらがたつんだ。僕はなんにも、君にわるいことなんかしたおぼえはないよ。」と、子熊は、やっぱり、みつをたべながらこたえました。すると、みつばちは、
「だって、君、かんがえてみたまえ。君は、僕たちが、長い間、くろうをしてためたみつを、それこそ、べろべろと、見ているうちになめちまうんだもの。これくらい、はらのたつことはないよ。」と、羽をふるわせて言いました。
子熊は、こう言われて見ると、何だかはちに、気の毒なような気持になりました。そこで、
「はちくん。そんなにおこらないでくれ。そのかわりに、僕は、君をいいところへつれてってあげよう。」といって、子熊ははちを、花の一杯さいている、誰だれも知らない、谷間へつれて行ってやりました。』

大正15年の作品ですが、古さを感じさせませんね。
世の中はこの物語のはちとくまのように、もちつもたれつの関係でなりたっているのでしょうネ。

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